認知症になると,もとの性格先鋭化.あるいは幼児化

認知症になれば30分前のことも,
忘れてしまう.

それはそれで,多くの人は理解している.

今回半日で,直接知っている身近の認知症3名の人と直接,
あるいは,間接的に話をして,非常に,深く認知症が理解出来た.

なぜかというと,その人達の30代,40代の頃からの
行動,発言を知っているから.

その人達が認知症になるとどうなるかがわかった.
もちろん,軽症の時期,中等度の時期,そして今の今の
最重症になったときと状況が異なる.

1)怒り方,怒るポイント,相手に対する態度は,全く若いときと変わらない.

怒りっぽい人は,より怒りっぽくなるが,
その怒り方は,30年も40年も前の怒り方そのものである.

要は,口調,振る舞い,腹を立てる事柄,
怒鳴りあげ方,相手に対する目線など,
全て同じであることに驚いた.

怒りっぽい人は,認知症になるというタイトルの本があるが,
その怒り方,相手に対する接し方,
気性は,全く変わらないとわかった.

完全な認知症になっても,相手に対する怒鳴り方,
自分に対する基準の甘さなど,自分の知る限り,
50年以上,変わっていないと判明.

その視点で,人間をみると,
「持って生まれた,そのひと本来の資質は,
全く,死ぬまで,変わらない.
たとえ,認知症になっても,
あるいは,社会的な制限がとれただけ,
本来の資質が,明らかに見えるようになるか」

それは,幼稚園の頃なら,その子の本来の
動きをするが,環境が変わるにつれて,
要は,学校,会社などに行くにつれて,
「本性を隠す,一番簡単な表現をおぼえて,
それで,切り抜ける」ことを繰り返す.

どんなときも,
「まあ,がんばりよ」といつもいっていたが,
ほぼ完全な認知症になっても,
いつも,いつも,「がんばってやりよ」などというので,
それが,ある種の「かくれみの」になっていたのが,
今になってわかった.
要は,「自分は出来ないことを,悟られずに,
理解もしていないのに,理解もしているとも解釈できる
キーワードが,「元気にしている」「がんばりよ」
であったということ.

おそらく死ぬまで,同じ単語を,意味も無く,
免罪符として使い続けると判明.

本当に,「人は変わらない」と納得した.

2)あまりに非現実的なことを真実と信じている.

 「どっちが正しいか,警察に行って話をする」
  と認知症のおじいさん,おばあさんが怒鳴りあげたり,
  奇声を発する時がある.
  しばしば,そのような事がおきて,
  親族が,困り切ってしまうことがある.

  「ものとられ妄想」は有名だが,
  あまり刺激をしてはいけないと対処法に書いてある.

  それで,こちらが,黙っていればどうなるか.

  話を聞いた相手が,あまりのばからしさで黙っていれば,
  認知症の人は,「皆が否定しないと言うことは,
  私の考えていることが正しい.皆が認めた」

  と,考えを強化してしまう.

  そして,アルツハイマーの人は,
  「とりつくろい反応」が立派なので,
  「こんにちは」「元気にしてますか」などには,
   普通にあいさつをするし,ニコニコしている.
  「がんばりよ」などは口癖だが,
  その口癖だけで,通常の会話は成り立つ.
  30分もすれば,あったこと自体も忘れているが.

  今回は,自分のところに大金があると信じている親戚のおばさんが,
  その金は,自分(要は,このブログを書いている私)
  が医者になるのに,そのおばあさんが,大金を出してあげたので,
  自分の目の前には,無いと信じてまわりに広めていたことがわかった.

  徳川の埋蔵金みたいなものであろう.

  貧すれば鈍するというか,
  実際は無い金も,「あると思っていたのに,無い」
  となれば,何か原因をさがさないととなる.
  大金がかかって,今は,裕福?で成功している
  もとになっているものになったものに消えていると
  思い込みたいのであろう.

  2千万円が消えたと信じているので,
  話を作るには,それなりのものでないと行けないとは思うが,
  根も葉もない,話にこちらは,驚いた.
   
   自分の作り話も,自分が信じ込んでしまえば,
   その話を聞いた他人は,信じ込んでしまうであろう.

   本人は本気なのだから.

3)子供にもきつく当たる人は,自分の周りにもきつく当たる.
 とにかく,口の悪い女性がいた.
 
 これは途中.

 あまりの認知症の人達の世界観が,
「もとの欠陥を拡大したものなので,ある意味納得.ある意味驚き」

続く

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