ブログ最後の記事「おまえなんか医者をやめてしまえ」で前の病院は終了.

人生100年時代が来たのは,日本全国にしらされている.
あるいは,そう言わないと日本自体が成り立たない.
自分も医師として,長い長いキャリアを積み上げている.
多くのTVのCMも「もっと輝いて」などと
初老のヒトを持ち上げたりしている.

自分の医師のキャリアも,脳外科,救急と大変な現場でずっと過ごしてきた.
途中から,「自分だけが忙しく,他の医師はそれほどでもない」ことに気がついていた.
「救急は断るな」といつも言われていた.
なんか,毎日毎日,救急の代表として働いて,
「いつまでするのか?」と大変であった.
他の医師,スタッフにも無理強いしているようで,心苦しかった.
それにくらべて,他の部門は「予約制」でそれ以上はみないと平気で断っていた.
「健診」を受ける人を増やすために,
「眼底写真と眼圧が計れる機械」の選定も自分が行った.
それで,職員の健診も同じ病院内でできるようにした.
健診部門も収益化させるために,自分も関与した.

職員の家族も市の健診,胸写と採血だけのものは受けるようになった.
ところが,家族が受けたいと電話すると「予約がいっぱいだからよそへ行け」と言われた.

自分の反応「採血と胸写だけの検査が,予約がいっぱい」と断るのは何ですか?
救急の患者は,胸写,採血だけでは済まないが・・・・・

また,「よそへ行け」という物言いは,ひどい.
派遣社員だったような.

朝から,腹が立ってしょうがなかったが,
大きな声で文句を言っていると,
「おまえは,いちいちやかましいんじゃ.他の職員は言えないが,
おれは言えるぞ」と怒鳴り挙げられた.

両方ともエキサイト.

彼の言い分「おまえなんか,医者もやめてしまえ」でした.

病院創立からのメンバーの○師長は,えらい(と本人は思っている).
すばらしい本人自身への評価とこちらへのどうでも良い評価でした.

次の日に,懲戒解雇になった.
別の県の救命救急センターでヘリコプターに載ったりした4年間を挟んで
都合12年間つとめた病院は,翌日から終わり.
まあ,夜になって,教授には連絡しておかないと悪いかなと思い,
その夜に自宅に電話.翌日昼に別の病院から電話があった.
火曜日に辞めて,翌日の水曜日には次の病院が決まった.

ちょうど,祝日があったので,
昼間に段ボールの箱をいっぱい車に乗せた.
夜の11時に病院に行き,荷物を箱にいれて3回自宅に運んで終了.
終わってしまえば,あっという間.
2時前には全部済んで,寝てしまっていた.
次の日は,履歴書用の写真を撮った.
何枚もあったので,残りは漁協の年券を買うときに使った.

一度だけ,画像のデータをもらいに行った.
それ以外は,二度と病院には行かなかった.
そこの病院の前の道は二度と通らなくなった.
実家に帰るときも途中になるが,自然にそこを通らなくなった.

9月の最後の週は,空白の一週間.
フライフィッシングのキャンプに参加出来た.
初めて

初めて,別の世界を見た.
イベントが幾つかあって良かった.
いちいち,振り返る必要が無かった.

次の病院には,2016年10月1日付けで部長で就職.
2017年4月には院長補佐になった.
2018年4月からは理事になった.

自分の心の中に秘めているものは,
「自分の実力を出したらダメ」です.

それは「目立ちすぎる」から.

押さえて押さえて.

医師としてのセカンドキャリアが始まった.

まあ,2007年の救命救急センターの時にはじめた自分のブログも
終わりです.
2007年から2018年まで11年間も書いた.
まあ,誰も読まないブログは,自分の黙示録みたいなもの.

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする