次から次へと変わる職場環境.その1

2018年も変化の年.

まずは,20年間,今の病院で働いていた脳外科医が,60才を境に,
自分の最後のやりたい道に進みたいと,今まで関わってきた大学の時限講師として
4月に,今の病院を出て行くことになった.

今までも「個人のビジョン.やりたいこと」と「病院のビジョン,地域でやらないといけないこと.地域住民から求められていること」が解離していけば,最後には個人のほうがスピンアウトするのは,100%明らかと思っていた.

そのようになりました.

単純化すると,「医師として,いくつかの理由で最後は脳外科医ではなく○○科の医師として終わりたい.そちらの方をしたい.(もう,ここに脳外科医として,働く理由は本当は無い)」けども,完全に帰るところも切って移動してしまうのは,出て行く本人にとっても医局にとっても今の病院にとってもリスクが大きいので,「派遣大学の人事として,もう一つの大学に行くことを時限的に許可した」ということになる.
「1年から1年半は,その医師は出て行く.帰ってくるかどうかは不明.
60才が表面上は定年で,退職金ももらって出て行く医師がもどってくるかどうか.
その間に環境も人もかわる」
それはそれで,納得.

残された自分の立場からすると,簡単に言えば,脳外科医師が自分一人に4月からなるということ.
そうなると,大学から当直医師も増やしてもらわないとということで,
体制を作り上げないといけない.
11月末からの急激な変化.
12月末には,話が決まった.
他の大学の別の科に1年から1年半の期間限定の「医師の貸し出し」に許可を出したのが,
昨年の年末.
その後,さらに決定事項がかわり,その教室は,別の大学それ自身から,付属の
別の大きな病院に移すことが決まった.

それでは,出て行く彼の最後の野望が満たされない.
出て行く先がかわったが,自分のほうは,変わることはない.
それにあわせて,1月末まで微調整.

表面上の決まったことは,
1年から1年半は,自分がこの15万人ぐらいの医療圏での唯一の現役脳外科医になること.
MRIも東芝製ながら3 Teslaが使える.

そんなこんなで,自分は自分の生き方を決めていかないと.
自分は,出て行く彼が60才になって取りたい専門医はすでに取っている.
つぎは,別の人のために頑張る年代になってしまったか.

月曜日の朝から,外来,夜は当直,火曜日の17時まで一人来てくれる.
新しいA医師とする.

外来も,増える一方である.
彼ら,すなわち大学からの応援の若い医師に,どうやったら,「大量の患者を,もれなく,無駄なく診る」技術を身につけてもらう.とにかく一つずつ,文章に書いて,マニュアルを作っていく.
彼らも,「研究期間」の「生活費」を稼ぐためにくるので,病院で実績などは上げる義務や責務はない.しかし,僻地の地域の病院は,彼らの生活費のために受診したりはしない.

4月から,もう一段,たくさんのすべきことがある.

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