最後の「自己証明」の人たち

先週の金曜日の晩に,
久しぶりに同門の
先生方にあった.

ある薬の説明会であった.
その時,多くの同門の先生が来ていた.

飲みながら近況報告をお互いしていて,驚いた.
55-60歳の人たちが,就活を活発にしている.
本音は
「もう勤めは果たした.それで給料が500万もさがるのは心外」
あるいは
「自分のやりたいことを,最後はやりたい.」などではないか?
最後の自己証明というか,
それが許される年齢なのであろう.

義務教育は皆済んだ.

次は「義務仕事」の期間は
勤め上げたというところであろう.
会社の定年退職とは,また違う.

「医師としてこれがほんとはしたい」というものを,
皆持っている.

それでも時間外の診察,
特にムカつくのが明け方にくる
喧嘩のあとの頭痛など,
本人たちはどう思っているのか不思議なくらい
無責任な人たちの診療などをしていると,
「こちらが壊れる」寸前まで
時間も労力も提供している.

それらは
「医師としてはまったく評価されない汚れ仕事」に入る.

それらの,どうでもよい仕事に耐えて,
やりぬいた後,その責任は
次の世代が背負うべきである.

最後に自分が医師としてしてみたい仕事を
「最後の数年間,体力をあるうちにしたい」
と思うのは普通.

自己証明であろう.

自分が生きていけるのは,
「自己達成感」と「人からの評価,認証,認められること」
の2点に尽きる.

夜中の,明け方の当直のケンカの後の消毒などは,
上記の二点ともに,まったくない.
それに類似した,
多くの「マイナスの仕事」ばかりやらせられながらも
自分のゴールのために頑張って来た人たちの,
最後の勝負であろう.

彼らは子育ても終わっている.
社会人義務年齢も終了しつつある.

久しぶりに同門の先生方に会うと,
本音の部分が聞けて,
非常に気持ちが晴れる.
本当は,皆,同じなんだとわかる.

職場では,そんな話をしたら大変なことになる.

自分の境遇はどうなのか?

その時,
「どうして,その年になって,そんなに学会発表なんかするの?」

答えは,
「うちには若手がいないから.
自分の趣味の遠征費用が出るから」
などであるが,
ほんとの答えは,
「自分の最後のやりたいことのいくつかの中の一つ」
だからである.
皆と同じです.

 

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