本当の人生を考えた,順番でないヒトが死ぬと言うこと

父親が,昨年無くなった.
1年半過ぎたが,それはそれ.
それほど,深い悲しみもなかった.
すべきことをしてあげて,死ぬのも順番どおりで,
90歳近くまで生きて,癌のオペ後10年以上存命して
なにも問題はない.
こっちは,責任を果たした達成感がある.

先週の金曜日,情報が入った.
他の人達は,聞いていたみたいだが.

要は,自分がお世話になっていた1学年上の先輩が,
病気になって,再発して2回目の骨髄移植を受けたとの話.

無菌室からは出たらしい.
極めて大事な節目節目にお世話になった.

自分の結婚式の時,小さな子供さんが花束をくれる儀式?があったが,
その先生の娘さんが自分にくれた.
まだ小学校?も行ってなかったような.
その娘さんもお父さんと同じ大学の医学部の上級生になっている.
初めて知った.月日の経つのは極めて早い.

その前の,米国留学時代に自分は単身,独身で留学.
留学先に半年前に行っていたその先輩は新婚で,
アパートを探したりの面倒など見ていただいた.
寒い所だったので,冬に,なんと自分は,
腸閉塞になって5日間,緊急で入院した.

その時,新婚だった,その先輩の奥様が
私のアパートの部屋の掃除,
下着の洗濯までしていただいて
「あの部屋なら病気になる」と言われて,
恥ずかしいおもいながら,感謝の気持ちをずっと持ち続けていた.
自分の母親も,その話を聞いて,10年間以上
地元の果物をお中元に送り続けていた.

その先生が,病に倒れた.
自分より年齢は一つ上なだけ.

まずは,なんとしてもお見舞いに行かないと.

そして自分の今までの感謝の気持ちを伝えること.
娘さんにも「お父さんにはホントにお世話になった.立派な人です」
と伝えたい.

その情報が分かった夜は,研究会で,ホテルに泊まっていた.
今の自分は,「田舎の病院で手術は少し.後はフライフィッシング,
月曜日は体育館でバドミントン.若い人達と一緒に汗がかけて楽しい.」
半単身赴任で県北のアパートの時は,夜は常に仕事と勉強.
今の自分は恵まれている.「不平不満を言うまでにはなっていない」

今の自分の入院患者さんは平均年齢が88歳ぐらい.
順番という意味では,全く「これからと言う時に」とか
「惜しいヒトを無くした」などは言われる年齢ではない.
ご家族も死亡宣告したときに,泣き崩れるようなことはない.
息子,娘も60歳代後半以上,
なかには75歳ぐらいの息子,娘さんも存在する.

しかし,自分が直接お世話になったヒトが,
「若くして亡くなる(運命)」のは,だいぶ,精神的にコタえた.
ホテルのベッドで,しばらく暗澹たる気持ちになっていた.

一日,一日大事に生きよう.
父親にしてあげたように,母親にもできるだけのことをする.
そして,自分の嫁さん,子供にも出来るだけのことをする.
医師としてやり残したこともする.

なんか久しぶりにまじめに考えた.

昨日の日曜日は,月曜転院の三名の患者さんの情報提供書を3名分書いた.
ヘロヘロになったが.
バタバタするのも人生かもしれないが,
もう少し大事なこともあることを
忘れないようにしないと.

まずは,お見舞いに行く.とこからか.

先日,救命のために脳出血のオペをした男性患者さんの息子さんが,
「意識が戻ったら見舞いに来ます」と言っていると,
患者さんの妻が言っていた.
意識は戻らないと予測している.
答えは,透けて見える.
いちいち,見舞いなんか行きたくない.
その息子にとって大事な用事はもっと沢山有るということ.

人それぞれ,大事な事,優先順位は違う.
同じ人でも,その時々で違う.
若いときは,お金よりも時間,仕事,異性の友達など.
子供の学費が大事な時もある.
同窓会が大事な時もある.

今の自分の大事さの優先順位を間違えない様にするのは,
人生で一番大事な事と気がついた.

先輩には,一日でも楽しく長生きしていただきたい.
無理なだけに,なおさら.

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