アリとキリギリスの話
アリとキリギリスの話はイソップ童話の一つ.
オリジナルは,冬に空腹で死にそうになったキリギリスにアリは言う.
「夏には歌を歌っていたのだから,冬には踊ったらどうですか?」と言って
食べ物を分け与えたりせずに,キリギリスは永眠しましたと言うお話.
冷徹なアリと快楽主義のキリギリスという分類.
人間へのメッセージは,「だからまじめに働け」というもの.
1)時間軸の解釈
解釈は沢山あるが,自分が医学部の学生時代は,
「キリギリスのように遊びまくった5年間とアリの様に脇目も振らずに
知識を蓄えた1年間」で国試に無事通りました.というお話があった.
自分もそれに近い.
要は,時間軸の解釈で,人間はある一時期は楽しく遊び回れる時期もある.しかし,脇目もふらず一つのことを成し遂げないといけない時期は必ずある.
遊ぶこともせず,ひたすらアリのような生活を人間に強いると人間はおそらくストレスで永眠してしまうと思う.
だからと言って,皆が一つのプロジェクトで毎日,努力をし続けている状態で,一人だけ遊んでいれば,その社会ではやっていけない.
要は,キリギリス型の人間も,「夏は歌を,冬は踊りを」でよいが,
春と秋は,まじめに働けば済むこと.夏と冬に楽しむぐらいの食べ物は蓄えられるであろう.
単機能型の「ひたすら,頭も使わず全体像もわからないまま,与えられた単純な分担作業を繰り返して,すこしずつ蓄えをためる」タイプをアリ型とすれば,必要充分量の蓄えをしてしまえば,多くの楽しみが人生にはあるのだから,その場から一旦離れて,好きな歌や踊りをしても,充分に生活はやっていけるとなる.
要は,2,3年食いしばって努力をする時期もあれば,楽しくバラ色の人生を謳歌するときも,必要というのが一つの答え.
寓話に,夏と冬がはいっていることも,「時間軸」「人生の春夏秋冬」
などが込められているからであろう.
普通に考えても,子供の時代,若い独身時代,新婚時代,子育て時代,孫が生まれた時代と考え方,働き方,日常生活の送り方も変わる.
2)空間というか,類は友を呼ぶというか集団の中での行動.
人間は「習慣の生き物」で,一旦,なにかを始めたら,そのことをやめて別のことをすることは,非常に高い抵抗があるということ.
同じ慣れたことをしているほうが,不安感がない.
まわりがひたすら働く時に,自分だけ遊ぶことなど,通常はできない.
そのうち,それが「普通の事」に感じるようになる.
また「遊び好き」は「遊び好き同士」でつるんで行動する.
慣れてくると上達する.そうなるとストレスはさらに減る.
さらに他のこと,特に苦手な事などに手を出したくない.
と言うことで,「似たようなキャラ」の人達は群れをなす.
逃げ切れない「運命」のようなものになる.
段々,ダメになっていく人達の中には,「下には下いる,不幸な人達をみて,安心している」集団をみることもある.
ひたすら,勉強,努力でラットレースでも常に勝つことで安心感を得ようとする「ワーカホリック」も実在する.
さらには,「アリはアリを好むし,キリギリスはキリギリスを好む.
要は,似たようなもの同士が集まり,傾向を強化することになる.遊ぶヒトは,さらに友達が出来て遊び,働くヒト達はさらに,働くシステムを強化して,なお働く」となっていく.ある意味,必然であろう.
だからこそ,「アリとキリギリス」のお話ができあがったと思われる.
というのは,オリジナルは,アリにもキリギリスにも冷たい.
「困ったヒトに食べ物も恵んであげない,皮肉屋で,けちなタイプ」として,アリは描かれる.アリの中にも,そのような発言をしないものは,いるとは思う.
アリの様な人生は楽しいのか?
若くて体力もあり身体のスタイルも良いときに,全く遊ぶこともせず,旅行も恋愛もせずに,おしゃれもせずにおいしい物も食べず,飲まずに年を取って,80歳になって胃も細くなり,食欲もおちて歯もぼろぼろになったときに,目の前のおいしい物は食べられないが,お金はある状態で「良い施設には入れる」と自慢することが楽しい人生だったのか?
ヒトの生きがいには,楽しく華やいだ物が多いと思う.
しかし,本人は自覚していないが,周囲に迷惑をかけて困らせ続けるのが実は隠れた生きがいのヒトなど結構存在している.
楽しみに背をむけて,ひたすら単純作業をして,1億円ぐらい貯金した老人の話などは時に聞く.
死ぬ前に立派な施設にはいり,他人に介護をしてもらうために人間は生まれてくるのか? そのような単純な,なんの喜怒哀楽のない人生は,ほぼゼロであろう.極論が過ぎると思われる.
自分は,ずっと考えていた.
「変化が普通であると設定を変えること.新しいこと,変えることにストレスを感じないように,変化を習慣にしてしまえば,多くの人の状態が改善する」「見たことも聞いたことも無いような状況が起きることが普通の状態」と,「変化に慣れる」ことがヒトを変える,アリとキリギリスの話を超える状態になるだろうと.
習慣が人間を決めるなら,「遊びも仕事も,すべてを習慣化してしまえば良い」ということが自分の今の結論.
一時,コマーシャルで,「アリギリス型の人生」というのがあったが,
蓄えながら,楽しい人生でストレスを発散させることが最終目標の一つ.
人間は,キリギリスでもアリでもない,より高度な生き物なのでこのような二者択一の単純な話ではない.
3)そもそも,違う考え方のヒトが交わることはない.
アリはアリの,キリギリスはキリギリスの人生を歩めば良い.
キリギリスも秋には卵を産んで,翌年はまた,次の世代が次の夏を彩るように歌うのが使命.
アリはアリで,一族のために,必要以上の食物をあつめて,繁栄のために命を捧げていくことが「幸せ」で「生きがい」なので,「そもそも論」で
生態系の中での個々の役割が異なる.
要は,「これが自分の人生」と決めたのら,別の集団のことなど,
関係なしに自分の人生を歩めと言う意味もあるか?
「運命からは逃げられない」というものか?
それなら,このようなシニカルな話を作らなければ良いように思う.
一人の人間にも「アリ」のような部分もあるし「キリギリス」の部分もある.どちらも大事というのが,終わり方であろう.
止揚というか二律背反というか.
4)ということで,バリエーションが生まれている.
一つは,アリは食べ物をキリギリスに与えて,そのお礼としてキリギリスは歌をアリ達に聴かせてあげるという落ちのもの.
女王(アリ)に歌を聴かせる吟遊詩人みたいな終わりかたであろう.
ウサギとカメの話
こちらも,イソップが原型らしい.さらに原型はギリシャ神話など,似たような話はいくらでもある様な.
途中でウサギは「昼寝」をする.
日本の明治時代の教科書には「油断大敵」という
名前で紹介されたらしい.
明治時代の教科書には,小学1,2年生の国語に載っていた.
その時の教訓は,「だから試験に勝つように,なまけないように」であった.小学下級生なら,長い長いその後の人生のことなど全く意味不明であろうから,「目の前の試験対策」として,それはそれで正しい教え方であろう.時代の背景を感じる.日本が欧米列強に追いつきたかった頃のお話.
競争に負けないように,
これは「走る」という能力に劣っていても,
カメからすれば,「地道に努力をすれば,あるゴールには早く着く」
あるいは,「能力がなくても努力すれば,能力があっても,遊んでいるヒトを負かして,あるときは一位になる.」という寓話である.
ウサギからすれば,「能力があっても,慢心すれば,能力があまりないが努力をし続けたものに地位を譲ることがある.」という寓意である.
ところで,
自分も,朝からバリバリ仕事をしたら14時頃には,眠くなる.
15分ぐらい寝てしまえば,さらにそれからバリバリと仕事をする.
まあ,この「落ち」は,慢心はしたらだめというものだが,
いくつもの派生的なお話はある.
まず,ウサギは「途中で道に迷ったり,オンナの子と遊んだり」しては,
元のレースにもどって,遅れを取り戻す.
カメは,一定のペースで歩いている.
ウサギはすぐに追いついてしまう.
そこで疲れて,寝てしまう.
一旦,目をさまして,また快調に飛ばしてカメを追い抜いておいて,
別の遊びに行ってしまう.
楽しくて長時間を過ごして,また急いで帰ってきて,レースの道を飛ばして,またカメを追い抜く.
そして,また違うところで,違う遊びをする.
まだ,カメは追いついてこない.
さらに別のことをして,帰ってきたら,カメが先にゴールインしていましたと言う話.
ここで,お話はこのレースは人生だったとする.
ゴールに先にたどり着いても「ただひたすら,歩くだけの人生,遊びもなければ,寄り道もない,楽しい思い出は一切ないカメ」と
途中で「オンナの子と遊んだり,他のことをしたり,昼寝もできた,思い出が一杯詰まった人生を楽しんだウサギ」と,あなたはどちらになりたいですか?という質問.人生のゴールは一体何か?
どちらが楽しい人生でしたか?という質問がある.
答えは,「カメもウサギも大事」ということになる.
ウサギは燃費の悪いスタイルの良いスピードもだせるオープンカーみたいなもの.
注目も浴びるし,遊びにも行ける.楽しい.しかし途中で給油を何回もしないとそれは動かない.100m走などの短距離から中距離の選手のような動き.途中で休憩は必須.
カメは,ゆっくり一定のペースで走るディーゼルのトラクターみたいな物.
早く走ることはできないが一定のペースで仕事をする.
ゆっくり確実に.”Slow and Steady”
マラソン選手の様な才能が必要.100mを走る速度で走ったりしたら,まず完走できない.壊れて倒れる.
毎日の仕事はカメの歩みと同じ.まじめにしないとルーチンの仕事は出来ない.安全,安心が大事な「面倒なルーチン」の仕事をしないと人生の基盤が崩れる.
自分は,なかなか仕事が進まないときは,「カメの牛歩ぐらいのスピードで仕事が進んでいる」と説明をしている.
しかし,毎日毎日,朝から晩まで感動もないが,大事な仕事をし続けることは大事.しかし,それでは最後に人間は壊れる.
短距離走と長距離走の選手を競争させること自体が「あり得ない」ので,
現実は,話自体が間違っている.
もっと言えば,重量挙げの選手が,マラソン選手から長距離走をしましょうといわれても,話の落ちがつかないので,成り立たない.
「ゆっくりなのは仕事,作業の都合上しかたないが,安全,確実に,最終ゴールを忘れること無く精進を」というメッセージ.
だが,人生では,急変はいつも起きる.拙速で他の事もしながら対応しないと切り抜けなけられない時が必ずある.
さらには,毎日,別の用事が入ったりして,ルーチンジョブが回りにくい時もある.その時は,普段よりも労力を使う.重要なのは,「早さ」である.
いわゆる「早いが御馳走」という状態.
現実は,できる限りのスピードをあげて走った後は,ゆっくり昼寝でもして休憩をとらないと身体は壊れる.
普段は,「カメのごとく確実に,緊急時はウサギのように素早く.」
が正しい.それは一人の人間が,ギアを変えながら毎日仕事をするのにふさわしい.
ということで,自分の意見,感想では,アリもキリギリスもウサギもカメも一人の人間に必要な資質を区分けして示したもの.
自分はいま,どのモードで動いているかの指標みたいなもの.
ユングの心理学もヒトを要素,資質で,2×2×2×2で16通りのパターンに分けている.それも,「そういう傾向が強い」程度である.
まあ,人間の中をえぐり出して,単純に強調したらこんな話にならざるを得ないと思う.
「与えられた仕事は時間いっぱいに広がる」と言う,パーキンソンというヒトの言葉も思い出した.