実は研究室で,研究を始めた時に,
所属していた研究室が国際学会を主催した.
その時,自分の役割は,海外から来た人を空港からホテルまで車で送迎.
その時の失敗談はまたあとで.要は自分の車が小さく荷物が載らなかった.
剣道の胴着をきた子供が道を帰っているのををみて,
「サムライ」がいるがどうしてかうまく説明が
できなかったとか.ホテルにつくまで,本当に大変であった.
もうひとつの大きな役割は,メイン会場で,外人さんが発表した後,
手をあげて,英語で質問すること.
学会の公用語は英語です.
自分の担当の時に,400人は入るかという会場で
気合いをいれて手をあげて,質問した.
フロアから立ってマイクの前でとりあえず英語で質問した.
それを大きなビデオカメラを持った人が写していた.
緊張していたが,それなりに二三回,英語でやり取りした.
席に戻ると,「今どのような質問しましたか?」と新聞社?の人が質問に来た.
適当に答えたが緊張していて,のどがカラカラになっていた.
まあ,自分の役割は終えてホッとした.
次の日になって,「テレビに出てましたね」と言われた.
それは後輩が他の病院で当直していて,次の日に
朝起きて,テレビをつけたら,なんとすぐに自分の顔がアップで映り
なにか必死にしゃべっているところが,映って,そこへ
「国際学会がどうたらこうたら」と説明が入ったらしい.
要は朝のニュースに自分の顔がアップで出ていたということ.
びっくりした.
実は,その時,「英語が喋れる」ということで,
その学会にきていた別のドクターのところに研究で留学が決まった.
ひょうたんからコマ.
実は今でも,その時の英語の会話自体を覚えている.
自分の人生の方向を決めた一瞬であった.
30歳になる前の,燃えていた時期の話.