最近,高齢者の患者さんが多い.
今に始まった訳では無いが,さらに増えた.
印象として85歳までは意外と皆さん元気.
あるいは,元気な方もいると言うべきか.
それから,段々,筋肉が萎縮して,
目も見えにくくなって,総入れ歯の人も歯茎がやせてと
本格的な老化が来る.
日本全体の問題
1)高齢者は,人間である限り,どこかでお亡くなりになる.
問題は,病院のベッド数より,亡くなる人が多くなること.
特に,亡くなる直前の状態を,自然な流れと解釈せずに,
若い人達の「急病」と同じように解釈する人が,一般人
だけでなく,医療職の,特に古い医師の中にも存在すること.
寝たきりで100歳超えていた人が脳出血で救急車で
運ばれてきたりは,日常茶飯事である.
死因は「脳出血」になる.
しかし,同じように100歳超えていて,
施設で,「気がついたら,眠っているのではなく,
死亡していた」ので,救急搬送されてくる人もいる.
喀痰も詰まっていない.
今風にAIでCTで頭から骨盤腔まで写真を撮っても
全く,死因らしい病変が亡い人もいる.
「老衰」と死因を書くが,85歳以上の場合,
死因の第4位らしい.
まあ,個々の生き物は,年を取って死んでいくのが,
地球の,あるいは宇宙全体の摂理である.
1990年ぐらいまでは,「死亡は医療の敗北」と
解釈されていたが,それは30年前から20年前の
話.そして,その頃を生き延びた,今の高齢者が
人間の遺伝子上の決められた最大限まで存命しているのが
今の時代.
30年前は70歳で高齢者と考えていた.
今は,その人達が100歳になっている計算.
まあ,三次の救命救急センターに施設の寝たきりの高齢者が
運ばれてくるのは,徐々に鎮静化はしている.
「人間が,最後に死ぬことが急変,急病」では無いと
徐々に浸透しつつある.
二次には,まだ運ばれてきている.
要は,「施設で死んでもらっては困る」ということ.
意味するところは,自分たちの施設,目の前ではなくて,
「死に場所は急性期病院でよろしく」
今までは,それでも良かった.
しかし,急性期病院にいる以上,治療はする.
そうすると,しばらくまた存命する.あるいは力尽きて死亡する.
そういう状態の患者さんがどっさり増えた.
どんどん,「急変」として病院に運ばれてくると,
病院のベッドは,その方々に占有されてしまう.
そもそも,若い人は,病気も怪我もあまりしないし,
入院患者の平均年齢はどこの急性期病院でも,今は80歳近い.
あるいは,超えているところもある.
ベッドが一杯になれば,規定として次の急患は断る.
「廊下でも良いから」などは,災害時,戦争時などの
特殊な状態でないと,厚労省から許可が下りない.
ということで,もうすぐ,「病院に行って死んでもらおう」と
施設,家族の人が希望しても,病院では死ねない時代が来ると,
分析されている.
2)急性期病院で死ねないなら,どこで死ぬのか?
その対策として行われていること.
施設で,療養型病院でとその場所から移動しないで,
天寿?を全うしていただきたい.
そのためには,
食事が取れなくなれば,点滴でしのぐなどの方策が
必要.さらに採血のデータをその場で見たいなど
要求は幾つかある.
要は,点滴,血液ガス検査(動脈血採血)などは,
医師が,そのような施設では極めて少ないため,
代わりにナースがしないといけない様に時代が動いている.
間違いなく,ナースの必須手技は増える.
PICC(中心静脈)もナースが入れる項目に入っていた.
それらは,自力摂取が出来ず,死亡する一歩手前を
短時間でも,維持,持続するためのもの.
要は,家族の精神的な,そして,具体的な準備の
受け入れの時間を作るため.
3)死亡する一歩手前で二次救急病院へ救急搬送されてきた場合.
しかし,療養型病院から,
いまだに急性期病院に搬送されてくる人も多い.
そして,訓練された医療従事者たちは,
「救命救急のルールに則って懸命に救命処置をする.」
そして,存命はする.寝たきりが,寝たきりに治る.
もちろんはじめから,意識はない.
医療は,若返りの秘法ではない.
今度,悪くなったら,治療してもまず,助からない.
見た目もボロボロなので,それに心マなどすれば,
肋骨が折れるだけでは済まないぐらいの状態.
そのような状態になれば施設には帰れない.
療養型の病院も,すでに次の待っていた人が入っており,
すぐには戻れない.
4)そこで出現.新職種の出現の必然性.時代の要請.
「この方は,どこで,どのように最期を迎えたい.
おなくなりに,なりたいのですか.」
「なにか,意見を言っていましたか?
あるいは,書いた物がありましたか?」
「今回は,助かりましたが,今までに寝たきりで5年.
余力は,もうないです.次に肺炎が起きれば終わりですが,
心臓自体も,100年間 打ち続けており,不整脈も
段々出てきています.次に悪くなったら,どこまでしますか?」
「気管挿管,人工呼吸器,昇圧剤が延命治療ですが,
どこまでしますか?」
「急性期病院にいる以上,やってくれと言われたら,
本人は,すでに痛いとか,困ったとかはわからない状態なので,
こちらは,訓練を受けている以上,1時間でも長く心臓を
動かすようにはしますけど,どこまでしますか?」
「もう,次回,悪くなっても何もしないというのであれば,
急性期病院には,日本の国が決めた条件から,
入院出来なくなりますが,
どうしますか」
という,会話と説明が延々と家族にされる.
本当は,そうなる前に,話をしておかないといけない内容.
しかし,誰も彼も忙しい.
ここは,日本.
死んだ後は,誰かが葬式,お墓としてくれると
無意識に信じており,死ぬときの条件までは考えていない.
おそらく今の90歳以上の人は,ほとんど考えていない印象.
まあ,人生のほんとの意味での最後の時期を,どこで迎えたいか.
Last period arranger
Last life coordinator
Happy Ending producer
まあ,まだ,職種としては,名前がない.
死生観をもって,家族の本音を聞き出して,
彼らをいやして,受け入れの準備をしてもらってと
いうことが出来る人間.
しかし,医師と患者家族の間にたって,
一般人にもわかりやすく,そして
「人間,個人,個人は絶対に何があっても,死ぬ生き物」
死ぬには,その一歩,二歩前の段階では,
自分で食事が取れない,
医学的治療をしても若返るわけではない.
一ヶ月入院したら,その人は一ヶ月年を取る.
など,少しずつ,受け入れてもらう「新職種」が必要.
20年前は「ディスチャージ ナース」というだけで,
雑誌の取材があった時代.
今は,忙しい主治医に替わって「退院促進チーム」などが
少しでも在院日数を減らすように,毎日毎日病棟ラウンドしている時代.
以前は,「3ヶ月間は,入院」とかの時代もあった.懐かしい.
次に,来るのは,
「どこで,どのように死ぬのかの家族の希望に出来るだけ沿って,
現代の医療資源の実情も説明が出来て,患者さんに最善の
最期の場を提供する新職種」が必要.
そういう人がいてくれないと,
今後,「まわらない」ということになる.
家族も困る.医師も困る.
もちろん本当に困るのは患者さん.
新しい資格がおそらく出来そうな気がする.
日本語なら,「最良臨終設定師」になるが,
あまりに直接的な表現は日本人は嫌うので,
英語になりそうな予感.