Facebook関連の馬鹿記事


Facebookは自分は,やらない方が本人のため
という状況.

そう思っていたが,
このまえ,「元カノ」がFacebookをしていて,
その「ともだち」をみてみると
「こいつが,新しい彼」とわかって,
自分は,見られないようにセッティングして,
相手の毎日を見るようなことを出来るように
するための記事があった.

そもそも,Facebookは
そういうことをするためにものなのか?
延々とその方法を解説してある記事を見て,

つける薬がないと感じた.

「元カノ」のことなど,
遠くで幸せを祈っている
と言うスタンスで十分.

世界が狭すぎる.

まあ,のぞき見が出来る気分なのだろうが,
使い方の一つであろう.

その延長で,いろいろなことが出来そうである.

興味の対象がおかしいが,
世の中,「生きがい」はさわやかで,
明るいものだけでない.

「白球をおいかける球児」が高校生を代表している
わけでもないので,
誰がどのような生きがいをもっても
良いとは思う.

自分にとっては,
「元カノ」のfacebookを見る,
あるいは探すという
こと自体が,意味不明である.

そもそも,Facebook自体みないし.

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