メディカルコントロール協議会などに出て,
会が終わって,同級生でもある他院の救命救急センター長と
雑談
「なんとか,死なんようには,持って行ける.
今の医療は,そこまで」との一言.
自分も全く100%同感,同意.
要は,「意識は戻らない,意思の疎通は出来ない」
状態でも,「救命」まではなんとか可能ということ.
それは,今の医療の限界.
100歳の寿命の人を,寝たきりで植物状態で
101歳までは,存命させることは,可能.
決して,そうやって維持している間に,
本人が「若返って行くことはない」
95歳すぎて,何か病気になったら,
「これ幸い」と施設は送り届けてくれる.
そして,「なんとか,存命するところまで
持ちこたえる.」
そうなると,もとの施設は「そんな重症は,うちの施設では,
面倒見えません」とのこと.
行き先は?
未だに,知らない多くの一般の健康な人達
急性期病院の「急性期」の入院日数は14日間なんですと
言うと,「それは他の患者さんへの適応で,
うちの人はずっと,みてくれて当たり前」と
反応する人がいる.
まあ,どんなスポーツでも趣味でも,
やってみて初めて「そんなルールがあるのか」と
わかることがある.
「将棋で二歩はダメ」などの基本的なルールも
将棋に関係ない人は,そもそもコマの動かし方も知らない.
それと同じ状況は
「自分の父親,母親が死ぬこと」は,
まず,当たり前だが,一回しかない.
実の父親が10回死んで,葬式もいろいろなカタチでやった.
などはあり得ない.
2回目の死亡の時は,もう,胃瘻も気切も
止めてもらったとか.
3回目の葬式は,皆でダンスを踊って,
亡父を忍んだとか・・・・
要は,ゲームに参加するのは,
「一生で一回きりで,そのルールも
知らない.あるいは知りたくない.考えたくない.」
というのが,最近の
超高齢者の両親の死亡直前の息子,娘達の対応であろう.
最後は,今の医療体制なら,
こうなりますよ.
と説明を一生懸命してあげるのが,大事.
自宅で亡くなるのを進めている人達もいるが,
自分が経験する多くの人は,
子供達は,遠くにいて,実家は老夫婦二人だけ,
そのうち一人が死亡して,一人住まい.
これで,家で大往生は「孤独死」に近い物になる.
せっかく??「病気で病院に入った」のなら,
その最後は,どうしてあげたら良いかの
幾つかのプランを提示して,納得してもらう係が必要.
観光地のホテルでの「コンシェルジュ」が必要なように,
あの世への出発への,家族への説明係が必要.
昨日,朝9時から翌朝3時まで,
18時間ノンストップで救急外来を担当してきたが,
腹痛で来た90才以上のおばあさん,
施設の医師はブスコパンを飲ませて,こちらに紹介.
胸腹部CTで「癌性腹膜播種」がある.
今後,どうしてあげるか?
救急の最前線で診ることの多い
「90歳以上の高齢の患者さん」は
救急の教科書に載っていない疾患が
ベースにあることが多い.
「死ぬ前の状態」を,「急変」と定義していると
救命救急センターには,患者さんが殺到する.
忙しい現場は,その時だけの処置をして,帰宅してもらう.
まあ,すぐに再開する問題の,一時的な先送り.
若い医師には,全くわからないと思われる.
人生の最後を迎える人達,すでに意思の疎通も
全くできない人達への
出来る医療,選べる医療を提示してあげるのが大事.
胃瘻を拒絶したら,「緩徐な殺人」になるかのような
司法,警察の考えは,未だに
「人が死ぬこと自体が,医療の敗北,医療側の怠慢,
ニグレクト」と規定している印象.
どうしたものか.
まあ,土曜日から日曜の朝まで18時間ノンストップで,
救急車6台,昼食,夕食は食べられず,22時にサンドウィッチ一つで,
朝の3時まで,少し横になって朝は5時から時間外外来で,
肩の脱臼が来た.
まあ,それにもまして考えさせれるのは,
「高齢者の今後の医療」でした.