読んだ本は沢山あったが.
最近は,車での長距離通勤のため,読むことが出来なくなった.
Audibleも多くの本が順番に出る.
日本人の高齢者の定義が75歳からになった.
それは医学的,経済学的な理由もあるとは思う.
Audibleの中では非常に新しい本.
昨晩,聞いた.
定年退職が63歳の会社の話.
そこで専務まで行って,関連会社に行って
定年退職.
個人の資産で9000万円残っている東大卒の主人公.
まだまだバリバリやりたい.そして実際やれる人のお話というかそういう設定の小説.
ポイントは「やり切った」達成感が無い人の「仕事」人生の最後のあがきの話.
まあ,内容は読むなり聞くなりして貰えれば良い.
感じ方はそれぞれで,感動する部分も人それぞれと思う.
妻との関係,故郷との関係.
テーマは「やり切った」感が無い人は,63歳でどうするか?というテーマである.普通はさらに2段階ぐらい規模の小さいあるいは孫請け会社に半額ぐらいの給料で再雇用が一番多いパターンの気がする.と言うかそういうニュースしか聞かない.
医師とは大分違うと思った.
まず国立大学などで教授の定年が63あるいは65歳の人の場合,次はなんらかの「院長」なりのポストがある人が多い.
「経験値」はICT業界などと違って必要とされる.
若い斬新な発想ではなく,「生身の人間に寄り添う」技術が大事なところもある.
他の有名病院(日赤,旧国立,済生会,県立,市立)
の「院長,副院長,部長」などは63あるいは65歳の
定年になると,少し離れた民間病院や故郷の病院の顧問なり,
なんなりで,70歳ぐらいまでは働く.
開業医の先生方は,80歳すぎても働いている医師も多い.
その医師の人生がそのクリニックの一生で,
その医師が体調不良を繰り返して高齢で閉鎖となったところも
何カ所かみてきた.
さらに外科系,内科系で出処進退というか身の振り方が違う.
外科系は,「メスが使えなくなったら」「長時間のオペができなくなったら」「血管内手術で,細いコイルの先が見えなくなったら」などそれこそ目の見える「手技,手術」というハードルがある.
「自分は手術をまだやり切っていない」と思っても,
もちろん定年退職の時期は来るし,若い人達も「自分の番はいつ来るか」と待っているとなると,
「手術から身を引く」タイミングは複雑である.
さらに,専門医制度からの研修病院の資格認定なども絡んでくる.一人の専門医あたり50件は手術件数が最低ないとダメなどである.
3人いて100件しか手術が無い病院は,
「定員を3名から2名に減らす」などは,普通に行われる.
自分も「やり切った感」は全くないまま,
県北病院に半単身赴任になり「どうしたものか?」
と困っていたので,身につまされた.
しかし,「専門医がそこに行った」と評価されると
人口の少ない地域の医師は,「削減」対象になるのが,
事実である.
まあ,モヤモヤ感がある.
自分もまわりからは「終わった人」と
みなされているということであろう.
「終わったのか,そうなのか」どうするか?
今の今なら,別の道に進んで「終わらない」評価を受ける
ことも可能であろうとは思うが・・・・・
それと,若い女性を「食事に誘う」「誘われる」の
部分が非常に勉強になった.
10人中9人のおじさんは,
「金時もち(キントキモチ)」として,
ある意味「利用されている」事実.
そうでない一人は特別なオーラがあって,
おじさんになっても若い女性達からもモテルらしいが,
その特徴は「特別な才能を必要とする部分で社会的に評価されている」うえに,「結婚生活がうまくいっていないか生活が破綻している?」が特徴とのこと.
10人中,9人が「食事だけ」の関係になるのは,そういう意味らしい.
なぜ食事に行くかは,
女性の答えは「楽しい」から,そりゃ「普段は行けない高級な店」で相手のおごりで食事が出来たら楽しいであろう.
それでは,おじさんがなぜ、若い女性を誘って食事に行くかは「癒やされるから」と答えるのが,「お約束」らしい.
なるほど,日本語の勉強になった.
そこで,男女の関係にならないのが10人中9人の場合というのも,納得出来る.
半単身赴任で,一人で知らない寒いところで夕食を食べるのは,ホントにわびしい気分がマックスになる.
それなら,ひたすら「感じず」に要は感情をすてて,
本を読むか,お勉強をするか、お仕事をするかである.