同じ単語で別の意味

話せばわかると思わないこと

別にCAGのCがcarotidで頸動脈,
あるいはcoronaryで冠動脈であるから,
同じCAGでも意味が違うと言う話ではないです.

今まで,多くの「自分にとっては」奇妙な人々と
出会ってきました.

話をしていて,1から始まり10で終わると仮定します.
話をしだして,途中まで,
すなわち5か6の時点まではお互いがよく分かり合えて,
順調に話が進みます.

そして,今後どうするかなどの決め事をする8,9の段階になると,
どうも違和感が出てきて,
10の結論になる時には,話の結論が正反対になる人が
いることに気がつきました.

「合理的に」などの言葉も,使う人それぞれに意味を持っています.
結論が真逆になることがあっても,おかしくは無いとは思います.
第三者の立場で聞いていると,
それぞれがある意味正しいことなどはざらにあります.
そして違う結論がでます.
日本人は,その時どうなる? 
自分は正しいことを言っている.
相手は自分と「違う」ことを言っている.
ということは相手は「間違っている」と決めつける人が意外と多いです.

英語で「違う」と言う単語と
「間違い,正しくない」の単語はかなり違います.
differentとwrongでは間違いようも無く違っています.
日本語では,「違い」と「間違い(正しくないの意味で)」の
違いはごくわずかです.時々結婚したての夫婦で,
「あなたの味噌汁の味は違う,正しいのはこれ」あるいは
「洗濯物のたたみ方が違う」などで喧嘩までは行かずとも
気まずいことになる人々がいるとのこと.
それは違うを間違うと解釈するからこその
日本人に多い思い込みではないかと考えています.

自分の常識と思っていることは自分に影響を与えた人々,
それは自分を育ててくれた親,親戚,友人,関係者合わせても
100人はいないと計算していますが,
その人たちから植え付けられたものと考えています.
外国人と結婚した人は「違って当たり前」なので違うと
間違うを間違う確率は低い.

自分の結論は,
「同じ日本語でも,それぞれの背景から,
全く違う意味に使っていることがある」と言うことである.

以前「意見が違っていても,お互いが正しいこともある」と
意見を言った時に,
「意見が違っていたらそちらが間違っているに決まっている.
あんたたち親子は馬鹿じゃないのか?」と
心底,あるおばさんから怒られたことがあった.
その当時のその女性の夫と自分の社会的な地位の差とか,
こちらの年収が低かったこととか,
さげすむことが出来る立場であったその人は,
そのように言い放って,さぞ気持ちが良かったと思う.
その人とそれ以降一度も会うこともない.
桧舞台から夫が降りて,その妻である,そのおばさんは
今でも同じ口調で多くのほかの人にも同じように責めているのだろうか?

自分にとっては
「日本語で話し合えば分かるというものでもない.
同じように同じ言葉を使っていても,
別の意味で使っている人がいる」という,
今考えれば,当たり前のことに気がついた経験であった.

それ以降,「普通は」などは,
「それはどういう意味で普通と使っているのですか?」と聞きなおしたり,
最後の「だから,○○である」の時にお互いがびっくりするような
結論の違いになる前に,軌道修正するようにしている.

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