最後の説明する方と聞く方の立場

説明する方と聞く方の立場の違い

なかなか,抜けない理詰めの解釈

昨年の12月30-31日は,日当直で患者さんが多く入院.
くも膜下出血2名,脳出血1名,脳挫傷1名が自分関係の
患者さん.

状況の説明.自分はいつも
1)最後の状況になって,
  一族同士で「方針の違いでもめるのは困る」
  皆で,こうすると納得したら,それで行きます.
  現場にいない遠くの親戚の方で,
  後でこちらに怒ってこられる人もおられます.
  日本人は,結果はどうあれ,途中で
  「仲間はずれ」や「知らされてない」ことを
  非常に嫌う民族なので,
  最後のお見舞いは無理と分かっていても,
  皆に話だけはしておいてください.

2)直接現場を見た人,本人を見た人,特に一回心臓が止まり,
  呼吸器がついているのを見た人と,
  「遠方で話だけを聞いた人」では「感じ方」は異なります.

  親族同士でも最後に「方針」で,もめるのは本人も
  希望はしていないと思います.

などを必ず説明する.

重症ばかり診ていた自分は,ICUで毎日毎日そんな話をしていた.

父親が気管挿管,呼吸器がついて地元の病院のICUに居るとき.
同様の説明を自分より20才近く若い先生から説明を受けた.

一時的には良くなると,一見して分かるが,次は終わり.
まあ,父親が高齢になれば,もめることも無いとは思う.
20年に及んだ遺産相続の裁判,これも世間が狭いから,
稼ぐ能力が無いからこそ起きた争い.
それも無事済んで,10年が過ぎてからの危篤状態.

そこの病院の医師の説明を聞いても,
次はどうなるということは,すぐ分かる.
だからといって,「聞く方,息子の立場」を演じたことは,
さすがに父親が何人も居るわけでは無いので,初めてである.
気持ち的には,とうの昔に覚悟も出来て,
追悼の言葉も出来ている.
涙も出ないことは間違いない.

医者になって,
こんな風に父親の死を解釈するとは思わなかった.
もっと自分も父親も若いときに経験すれば,
情緒的な感じになるかも.

死亡が悲しい,つらい,痛ましいのは,
若い人の特権なのかも.死ぬ側も死なれる側も.
よく聞くセリフは,
「これからという時に」
「なんでこんな若いのに,
楽しいこともこれからいっぱいあるのに」
「親より,こんなに早く行くなんて」
などなど.

逆を経験することが今の時代.
たとえば,101才の祖父が死んだ時は,
「あっぱれ」のはんこを棺桶に押してあげたかったぐらい.
やりきった人生に乾杯という晴れ晴れとした気持ちだった.
「おじいちゃん,自分もそこまでやってみるからね」
が,自分のセリフであった.

平成28年元旦,午前中にICUの説明を終えての雑感.
これから実家に帰って

「息子の立場で説明を聞きに行く」

 

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