自分は,自分をB級と理解している.
仕事としては,
医師としてもB1クラス.
脳外科としてもB1クラス.
救急としてもB1クラス.
他の部門も併せて,A3あたりで,
なにかに特化して,すごいものがあるとは思っていない.
あれもこれも出来るわけでも無く,
ある分野では,ダントツというわけでもない.
もちろん,仕事以外でも,これはすごいという
ものは,持っていない.
持って生まれた能力,才能は
giftとかタレントとか呼ばれるが,
許容能力としては,「器の大きさ」として
capacityが一番,わかりやすいと思う.
汎用能力というか受容する幅というか広さというか.
さらに,「出来るようになる」
ということで,「獲得能力」が後天的なものであろう.
abilityで,できるようになったものという感じ.
練習して,自転車に乗れるようになったなどが,
一番わかりやすい.
大半の人が乗れるようになるが,
そうなるまでの時間は人それぞれ.
要は,capacityとabilityの掛け合わせで
「出来る人」「すごい人」などの評価がきまる.
まあ,楽器演奏でも,
いくら持って生まれた才能があっても,
練習しない人が上手になれる確率はゼロ.
まあ,長時間,集中して訓練を積む能力というものも
あるし,向き不向きもあるし,何ともいえないが,
要は,「ある分野で,自分なりの頂点までいく」
しか人間のすることはない.
将棋でもテニスでも,プロの世界となれば,
これはすごいという人たちが,若い時から,
朝から晩まで訓練,努力をし続ける世界である.
のんびりと毎日毎日過ごせたらそれで良いという人は,
「出来るように努力する」というベクトルからは
外れる.
毎日ルーチンの作業をしていたら,
上達したり,驚くような実績を上げたり出来ることは
あり得ないと誰でも理解はしている.
マクドナルドで,ハンバーガーを毎日焼いても
料理人としては,評価が上がっていくと言うことは,
絶対にあり得ない.
ある分野で出来るようになりたいと思っている
集団の中で,頭角を表せるかどうかは,
上記の二つの能力に加えて,
時間と費用をかけて,表裏のない,
努力がないとレース自体に参加できない.
器の大きさは,それほど,毎日の努力に影響はしない.
しかし10年,20年経過すれば,それはやはり大きな違いを生んでいるが,
そういう「本物」は,「本物」同士の
競争があるので,自分の目の前にいつまでのウロウロしない.
要は,自分と同程度のレベルの人が自分の周りにはいるし,
自分も自分のレースを競っている集団を飛び越せるほどの結果は,
簡単にはだせない.
時々,
「持って生まれた器も小さいのに,努力もしない」
人をみるが,生き残れるのかどうか不明.
というか,それぞれの立場を理解するときが来て,
その分野自体から消えるか,
一段下のレベルでのレースに参加していく.
まあ,
「あんた,持って生まれて器が小さいうえに,努力も中途半端だけど,
今後,どういうことになると予想している?」
などと聞いたりしないのが,大人,社会人というもの.
人の評価を軽々しくするのは,中級クラスの特徴とも,
ある本に書いてあったので,黙っていることが大事.
自分は中級者でB級と理解しているので,
せめて,行動だけは,上級者の模倣をしておく.
上級者たちは,上級者ならではの意思の疎通がある.
C クラスの人には,Cクラスなりの葛藤,苦労が
あるもの.
他人の評価はしないほうが,お互いのため.