多死社会の救急医療はどうなるか. 専門病院編

多くの統計が示している.

それは高齢化社会は達成されて,
その次は,その高齢者が長寿,
天寿を全うする時期が来る

2035年がそのピークであろうとされている.
その時は,年間170万人が死亡するとのこと.

自分の印象では,多死社会は,目の前に来ている.

それは,施設の人などが,急変して運ばれてくるので,
わかる.

年齢も90才は当たり前になっている.
80才台は,まだ,「若い」と表現している.

70才台の女性が入院してきた時は,
「お嬢さんみたいなもの」と表現している.

しかし,人には寿命がある.
90から95才は,まだ元気な人は結構いる.
しかし,95才以上の元気な高齢者は,ほとんど見ない.
大抵が多くの病気をかかえて,車椅子か寝たきりに近い.
限界に近い状態である.

一つの病気になれば,
他の「症状は出ていなかった,別の疾患」が目の前にでてくる.
一つの点の上に多くのヤジロベイが乗っている感じ.
何もかも一気に動き出して,機能低下に向かっていく.

まあ,制度も変わった.

1)胃瘻から,あるいは経管栄養の中止

  超高齢者の死亡は,「まわりも,あきらめがつきやすい」
  「意識も無い寝たきり,胃瘻で13年」などは,
  本人も,家族も,幸福かどうかなどは,言いがたい.

  最近は,
  胃瘻は造設していても途中から中止して点滴だけにしても良くなった.
  それは,経管栄養でも同じこと.
  家族の総意が必要とはいえ,
  以前なら「医師が殺人罪」に問われる状況であったが.

2)人工呼吸器を外す.
 急性期医療で,脳死の高齢者に,緊急避難で気管挿管,人工呼吸器を
 つけることはよくある.
 それは,家族が来るまでである.
  
 問題は,以前は一旦呼吸器をつけてしまえば,外せなかった.

 救急医学会のガイドラインで「人工呼吸器を外すことは,
 家族の総意があれば,可能.」となった.
 「家族の見ている前で外すこと.」という一文があるが,
  呼吸器を途中で外して,酸素投与のみに変更は可能になった.

 高齢者で慢性疾患の何回目かの急変状態などでは,
 「家族の悲しみの程度も軽い.すでに覚悟も出来ている.」
 と言う背景があるので,問題にもなりにくい.
 若い人が無くなれば,「まだまだ,人生,楽しいことがいっぱいあるのに」
 とか
 働き盛りなら,「惜しい人を亡くした」など,悲嘆に暮れたり,
 あるいは経済的な打撃があるが,
 90才以上の人がなくなられた場合に「これからと言うときに」
 などの表現はなく,「天寿を全う」などの言葉になることが多い.

 ということで,経管栄養,胃瘻,人工呼吸器の問題は,ひとまず解決.

 というか,「人間個人は100%必ず死亡する」事実に合わせた
 儀式をある程度行えば,責任は「家族」も「医療従事者」も果たしたということになる.

3)全員が病院で死ねるかどうかの問題

  どんどん死亡するとなると,皆が皆,病院では死ねない状況がくる.
  これは,ナーシングホームでとか,施設での死亡がその代わりになる.
  死後処置も,ナースの資格が必要ということはない.

  昭和初期までの「家庭科」の授業では,看取りの仕方を教科書に
  書いてあったらしい.
  
  白い布をかけて,医師に連絡してとかいろいろと記載されている.
 
  今後,中学,高校の保健の授業に,
  「自宅での看取り,お見送りの仕方」と入れないといけない時期がくる.
  
  もう,最後の最後で,死にそうだから病院というのは,おかしい.
  病院を,最後の死に場所と定義している文化は,世界中無い.
  というか,これだけの多死社会になるのは,人類発.

  寝たきりなら,施設の可能性が高い.
  慢性疾患の急性変化も,2回ぐらいは切り抜けるだろうし,
  その度に,一族も集まるが最後には,
  「無くなってから,連絡してくれ」となるであろう.

まあ,そんな時代が,来ている.

そこで,救急はどうなるか.
特に,専門病院の救急はどうなるか.

肺炎による死亡率が,脳卒中による死亡率を超えた.

4)肺炎が救急のメインの疾患になる.
  それも,弱毒菌の肺炎が.

 今後,必要な医師は,肺炎,膀胱炎を
 高齢者であっても,2回ぐらいは,
 治療して改善させることができる医師が必要.

 一週間は,点滴,抗生剤の持続であろう.

 病棟も,高齢者の肺炎で埋まる.
 整形外科が,高齢者の大腿骨頸部骨折で埋まったように.

 以前の整形外科は,「若い労働者が危険な職場で,手足の事故」
 が大半で,本来,健康な人たちの外傷による入院なので,
 気がついたら,病院を抜け出して,
 夜食のラーメンをたべに行っていたりしたが,
 今では,高齢者の転倒による骨折ばかりである.

 脳外科の慢性硬膜下血腫も増えた.
 それらの共通点は
 「人間は,死ぬ前に筋力が落ちて,転倒する.」
 という事実である.
 それらを,一生懸命,脳外科,整形外科は診療している.

 さらに,横になる時間が長くなると落ちてくるのは,
 「免疫力,感染への抵抗力」であろう.

 最後は「細菌」が,そろそろ,身体を分解しても良いですか?
 と,分解し出す前兆が,肺炎,膀胱炎,腎盂腎炎,胆のう炎などであろう.

5)多くの病気を治療中が当たり前の時代

 降圧剤,脂質代謝異常,利尿剤,抗血小板剤,
 抗凝固剤,糖尿病の薬を飲んでいるのが,
 「平均的な日本の高齢者」
 である.

 以前,歩いてきた慢性硬膜下血腫の高齢者.
 手術翌々日に,肘が痛い.
 喘息の薬も飲んでいたが,
 ロキソニンを処方してみたら,喘息発作が
 出た.そこから肺炎.
 発熱して,脱水になった.
 DMの薬も飲んでいた.DM性の腎不全があった.
 そこで,腎機能のさらなる低下.
 肺炎からDMの悪化.
 抗生剤を投与したら,それによる肝機能障害.
 絶食,点滴となった.
 なんとかかんとか順番に歯車を回転させて,
 経管栄養の寝たきりまでは,回復したが,
 ほとんど,会話は出来ない状態.

 似たような症例はたくさん経験する.
 頭部打撲後,入院数日までは,会話もしていたが,
 膀胱炎,胆のう炎などを併発して,
 全く自分で食事も取れなくなって,
 経管栄養で寝たきり.
 95才を超えると,そこから,歩いて帰るようになる人間は
 見たことがない.
 
 自分の印象では,
 「一つの表面にでた疾患を治そうとして,
  生体の環境が変わるような手技が加わると,
  全く別の炎症が起きる.
 
  その炎症を一気に一回で,改善出来なければ,
  ほぼ,間違いなく,意識低下,寝たきり,
  自力摂取不可能な状態になる.」
 
  頭の疾患は,すべての先駆けにすぎない.

  大きな雪崩が起きる,最初のひとしずくみたいな
  印象.
 
  それを,「頭で入院してきたんだから」と
  言う理由で,ずっと脳外科医師が主治医を
  続けるのが,今の日本の現状.

  脳外科は,肺炎,膀胱炎,DMなどの
  コントロールを一生懸命している気がする.

  高齢者のくも膜下出血も一つのテーマであるが,
  無くなる原因は,肺炎,しかもワンチャンスしかないと
  有名どころの医師が統計を発表していた.
  

6)救急車で入院したら,まずは全身管理.
 
  整形外科は,90才でも当たり前の様に
  大腿骨頸部骨折などは手術をする.
  
  その前に,心臓などの全身検索をする.
  すると,必ず,何らかの疾患は見つかる.

  手術をしても,別のことで転院していく患者も多い.

7)今後出来る病院の救急体制は,どうなるか

 以上のことから,救急のエースは,外科系では無く
 全身管理をする内科になると思う.

 エースという表現よりは,「最も,お呼びのかかる医師」
 は,感染症関係の内科医師となると思う.

 中年までの重病,重大事故は,常に一定の確率で起きる.
 増加するのが上記のような患者群なら,間違いなく,
 内科で全身的な評価をしないと,外科系は手も足も出ない.

8) まずは,脳,次は全身のどこかの感染を治療.

「一日前から立てなくなったので,脳外科希望」
の救急車が増えた.
脳MRI撮ると,異常なし.
「家族も救急隊も安心」
「じゃ,いつもの病院にお願いしたい」となって,
転院希望である.

脳外科に肺炎の治療を希望する家族はいない.
必要なものは,
すぐに転送可能な様に,夜中でも運転手,
病院車を準備しておくこと.

今後,病院で働く,救命救急士も増えると思う.
転院の数も,今後は,増えると思う.

かかりつけの患者は,「最後は肺炎」になると考えて
問題はない.

以上から,
外向けには,
1)24時間,脳MRI 3テスラ2台が稼働中.
2)内には,常に夜中,土日でも他院に転院可能な体制を整える.

「専門疾患別の,広域救急連携の構築」というとわかりやすいか.

それが,今の今の自分の考え.
それに加え,近所の人,かかりつけの人など,どうしても
診ないといけない人は一定数存在する.
それは,上述のごとく,内科,感染症医師である.
3)内科,特に感染症を専門に診る医師の招聘,獲得

それがないと,脳の専門病院でも,救急は回らない.

まあ,昨日の当直の間に,もやもやしていた漠然とした考えを
まとめてみた.

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