ひとりでひとり,二人で半分,三人でゼロ

インディアンの格言,「見張りの時の話」

見張りは「一人でやれば,一人分働く.
それを二人でやれば,半分の仕事しか達成できない.
3人でやれば,誰かがやってくれるだろうと思うので,
できあがった結果はゼロになる」という意味.

今回,自分はそれを実感したことがある.

医師募集のDVD,ナース募集のDVD,
その二つを作った.
それも,プロに撮影を頼んでの作品.
正式な金額は不明だが100万円以上ではないかとも
言われているらしいが...

医師のほうは,担当は自分だけ.
要は,出来不出来,出来た動画の評判など,
全ての責任は自分にある.

それで,自分は全く妥協しなかった.
医学的におかしな場面は,差し替えてもらった.
ナレーションも英語に,
その字幕も,自分が日頃の実力?をみせて,
淡淡と,戦う兵士の「口調」で統一した.

自分で言うのもおかしいが,
最後に to be continued を入れてもらって
「病気との闘いは続く」と暗喩としてのメッセージも入った.

と言うことで,自分は自分の責任を果たした.

それと比べて,

どうもナース募集の動画は,
学生さん7名に見てもらって,
後で「こういう意味です」と説明しないと
彼らはわからなかったらしい.

自分はまだ見ていないが,後で説明しないといけない動画は
おかしい.

それで,ナースのトップに聞いてみた.
担当者は誰でしたか?

「決めてはいなかったが,3人でこんなものが良い.
ナースには物語が必要などと述べていた」とのこと.

3人では,意見が微妙に違う.
3人の意見の中庸を「こんなもんだろう」と聞く方は解釈する.

出来た物は,
「それぞれの思惑とは,微妙に
あるいは,大きく異なる」ことになる.

撮影をした方も,担当者も,
「どうして,こうなったのか」わからない.

日本的には,
「連帯責任は無責任」である.
誰の責任でもないが,修復もできない.

3人がそれぞれ意見を言っても,もう遅い.

相手は「動画を撮るプロ」だが,「医療」
とくに「医師募集」「ナース募集」のプロではない.

「プロだからわかってくれる」と言うのは,
甘え,あるいは,
自分が自分の世界のプロ中のプロではないことの
依存心の様な印象.

まあ,今回は,よくわかったことがあった.

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