僻地に医師を呼びたければ

自分の考える医師募集の条件は,
ある意味簡単.

人間は強いストレスになればなるほど,
ストレス解消も強くないとやっていけない.
僻地に医師が行くのはストレスと言う点は,
ほぼ理解が得られると思う.

それに対しては,どうしたらよいか?
それは学生時代に目の前に奨学金をぶら下げておいて,
後は,ずっと長年辛い目にあわすような,
人買いのようなことをするものではないと思う.

僻地にMRIなどを設置しても,原価償却もできない.
技師を雇う金もない.
しかも夜は周囲は真っ暗で,
食べるところも車で30分行ってもない.

このような環境に卒業したての若者が行くか? 
変人でも気が狂う.そういう場所を9年間回る.

恋人も配偶者も,まず得られない.
デートする場所もない.

アウトドアライフと言う言葉は,
おまちで空気の悪いところで日常生活している人が,
時々郊外にでていって,
あるいは大自然の中でリフレッシュをすることであり,
生活が成り立たないところで生活し,
子供の教育が出来ない場所で,
野生児を作り上げるのがアウトドアライフではない.

そこまで書くと答えは簡単,
辺地で半年から1年仕事をしたら,
大都会あるいは医師本人が行きたい,
働きたい場所に半年行かせてあげる
システムをつくることだろう.

その間,別の医師が辺地を回るシステムにすればよい.
その理屈では,医師が必要と思われる倍の数がいる.

要は,医師を年間2万人作り上げるシステムにすれば
僻地に医師が来る.

それを医師があまる,
医療費上昇になると言う理由から国が政策として認めなければ,
1000年経っても僻地には医師は行かないと思う.

一般会社なら,儲けのあがらない田舎の支店はすぐに閉鎖する.

田舎の郵便局も一気に多数が閉鎖した.
その理屈なら,僻地の医院に医師を呼ぶこと自体が間違っている.
それでも医師を呼びたいのなら自治体の赤字は当然と思うべきである.

それを出費が安い学生に金を出して,
一人前の医師になった
人間を借金の返済の担保として僻地で働かすことは,
人権侵害の可能性を考える.

その人が選んだのなら仕方がないが・・・.

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