マイナスからの逆転
自分のモットーの中で,一番,使えるもの.
小さいころからのモットー中のモットーである.
大体,医師の生活の基本はマイナスからのスタートである.
要は,患者は病気になってから医師が関与することが大半である.
したがって,マイナスの状態からどうやって,元に戻すかである.
自分自身の歴史でも,5歳の時の交通事故以来,小中高の体育の半分は
見学であった.膵管損傷で身体が溶けていた.
そのあと,癒着をはがす手術を12歳の時施行.
盲腸と誤診されて手術して,退院して二日目に再入院.そして緊急手術であった.
まあ,その時の体験から自分は医師になったわけである.
年月を経て,自分のモットーの基本の基本は,マイナスからの逆転であった.
大学に入って,なんか体力がつくように,医学部のバドミントン部に入った.
それは,最初の体育でバドミントンが行われて,楽しかったからであった.
体育会のバリバリのものではなかったが,自分にとってはきわめて大変であった.
それでも,まあ,なんとかかんとか途中まではして,それから別の興味のある分野に,移行していった.
まあ,仕事をしだしてからは,底辺を這うようにエッチラオッチラやってきた.
つい最近まで,消防の情報センターからの救急対応の電話をうけるかかりであったが,心肺停止の患者を取ってくれとのことで,
自分は外来中に,一人なんとかして救急患者を診たために
外来が遅れ気味であったので,他の医師に頼むと
なんと,実は一気食いしての窒息と救急隊が来てから説明をしたらしい.
そこで,自分の情報の取り方が不十分ということで,叱責を年下の医師から
もらった.まあ,救急隊もこちらにそのようにいう機会は2回あった.
しかし,救急隊は一切,ひとこともそのようなことは言っていない.
自分に対してでなく対応した事務員に対してであるが.
今の病院の事務員は救急対応の訓練は全く受けていない.
以前も
「救急からの連絡で「ピーイーエー」というものらしいですが受けれますか?」
と危機感もなく,こちらに院内PHSで聞いてきた.
ピーイーエーの意味など,文系をでた若い事務員がわかることはあり得ない.
その瞬間にあいている医師で対応可能な人が何人いるか?などを頭に浮かべて
その救急を受けるかどうかを決めないといけない.
それは,自分が外来患者を診ている時でも,脳ドックの受診者に説明している時でも,自分が差配しないといけない状況であった.
もちろん手術の時もそうである.
みな,こちらの負担をどのように考えているのか???
と不思議に思っていた.
要は,意味がわからないからこそ,平気で頼み続けて来ていたわけである.
先週は,九州の病院に見学に行ってきた.
そのメンバーは,院長,事務長,放射線科医,健康センターの担当と自分.
他の人との大きな違いは,自分だけが受け持ち患者を十数名もっていること.
ほかのスタッフは,まったく自分がいなくても,「何かが急変」する確率は低い.
その日帰り出張のためにできなくなる仕事の埋め合わせに,
前日,前々日と朝の3時半まで仕事をした.
他の人たちと根本的に仕事量が違う.
出張する人たちも,出張しない他のスタッフも全く無頓着である.
毎日毎日救急の初期対応をやって,健康センターの責任者やって,
普通に患者を10名以上持ってという医師は,今の病院で自分だけである.
さらに地域連携室の責任者もという話があったが,それは断った.
こちらから「させてください」とは一言も言っていない.
病棟の自分の患者回診をする時間が取れないのが,毎日の悩みであった.
そこへ,救急の差配がうまくいかなかったので,
若いスタッフから怒鳴りつけられた.
内心,「これは,これは,すばらしい」と思った.
二日後から,「スタッフに失格と言われてまで救急の初期対応をさせてください
とは頼んだ覚えはないので,今日から絶対にしません.これは決定事項ですので,
なだめすかすようなことはしないでいただきたい.」と上層部に話をつけて,
救急の初期対応は卒業させていただいた.
それから,驚きの毎日,夕方6時ぐらいにはその日のすべき仕事のゴールの目鼻が
ついている.
遅くなりがちな書類もどんどんできる.
その時の感想:「みな,こんなに楽な仕事をしてたのか!!!」であった.
ほんの一瞬のタイミングを見計らって,まさに「マイナスからの逆転」
であった.毎日毎日,考えているからこそできる.
その後から,土日に頑張って書類を書くことも少なくなり,
フライフィッシングにも,またいけるようになった.
あれから,3回も行けた.
うまくいった.
NOと言える日本人.
やりたいことがある人だけがNoとはっきり言える.
もちろん,自分はフライフィッシングがやりたかったわけではないです.
それもできるほど時間が増えたというお話です.
これは次回へ.