あれは,もう10年前になる.
自分が働いていた病院が,
今風にいえば,別の法人に吸収された.
簡単にいえば,乗っ取られた.
表面上は全く変わっていないが,ある時の冬のボーナスを
別の医療法人に出してもらってから,だんだんと話が進んだような.
乗っ取り側の本体の病院から事務長が就任してきて,
いつの間にやら,そこにいた自分も含めた脳外科4名が首を切られた.
その前に放射線技師が,
その事務長から「明日から出てこなくて良い」と2カ月分の給料をもらって
首を切られた.ほかにも順番に首を切られていた.
医師の場合は,医局人事であったので,
簡単には,右から左へは動けない.
まずは,脳外科研修医が別の病院に.
自分が,その2ヶ月後に別の病院に.
その時の赴任先の病院が,
救急車が年間3000台以上くるところであった.
それが,自分が救急を本格的にやり始めることに
なったきっかけである.
人間が多い分,いろんな外傷,急病をみた.
そこには3年弱いたことになる.
そこでの救急の経験は,なかなか得がたいものであった.
そこには3年間の予定での出張扱いであった.
3年後の7月には,医局に自分は電話していた.
「自分はそろそろ3年になりますが・・・」
その時の医局長の返事は
「先生は今年は動く候補には入っていません」であった.
それから1ヵ月半で急に異動の電話があった.
そして,次は脳外科の専門病院で働くことになった.
その異動も,あまりに唐突であったので,要領を得なかった.
どうも後で聞いてみると,いくつかの理由からであった.
しかし,その理由は,自分自身にはまったく関係のない話であった.
そこでは,脳外科の手術を頑張ってやった.
まだ上手ではなかった.
3年7カ月もそこにいた.
出身大学が,新しい教授になった.
その教授になって2ヶ月後.
新しい人事で,自分がいた病院に
2学年上の脳外科医が来るとのこと.
そうなると,自分は,そこにはおれなくなる.
行き先もいくつか提示された.
それが,結構すべて遠い.
次から次へと,外的な環境のために行き先が変わる.
そこで,出てきたのが,新しくできる病院.
面接を受けに行った.
その手配は,自分が勤めていた病院の院長がその県の
会長,新しくできる病院の院長が,そこの県の会長であった.
その関係で面接のセッティングをしてもらった.
30分ぐらい雑談して,採用と決定.
まあ,なんとかなった.正式な登録としては,
自分は,その新しくできる統合病院の
採用第一号の医師であった.
その時は,まだ病院名も付いていなかった.
ほかの医師たちは,その統合する前の
病院所属であった.
まだ建物は完成していなかった.
完成のちょうど1年前に行ったことになる.
その間の最初の9ヶ月間は,その土地の民間病院に身を寄せた.
統合病院に行くことは,秘密にしておいてくれとのことであった.
今までのキャリア,
要するに「脳外科」「救急」が活かせられるところ.
そこは,救命救急センターであった.
その後,開院した.
激しかったそこの診療をなんとか3年間やり遂げた.
それも,これも「他力」で次から次へと異動したところで,
努力して身に付けたものがプラスになったと思われた.
すでに,脳外科専門病院にいたころから,
自分のモットーを作っていっていた.
それの最大のものは,
「マイナスからの逆転」であった.
そして,自分は,脳外科と救急の両方が形の上ではできる医師となった.
長い長い,お話である.