医者は多くの患者およびその家族と話をする.
もちろん,どの職業も多くの人と話はすると思う.
しかし,仕事上,あるいは,表面的な会話をする一般職?の人達よりは,
きわめて,個人的な話をする.
「医師の守秘義務」は憲法で決められている.
それだけ,個人の情報のなかでは,守らないといけない情報である.
そういう環境では,時々,ほんとにこの人は違うというヒトに遭遇する.
今なら,自分の世界に入り込んでいる人達を,眺めてあげることができるが,
最初は?????と意味不明になったことがあった.
おそらく自分にとって1例目)
大阪で働いていた時の患者さん,おばあさんだった.
「小脳出血?」とのことで,
診察にベッドサイドに行った途端に
「あんたなんかきらいや」と叫ばれた.
こちらは,挨拶の途中.
他の内科の医師にも似たようなことを言ったらしい.
MSWが調べると,どうも別人のカードを使って買い物をしていたような.
今日の今日もわかったが,この人達は,自分なりの理屈で日常生活をしているので,
「社会性」「コミュニケーション」「想像力」の3点において,こちらは非常に違和感を感じる.
その後,20年の年月を経て,「父親が多発脳塞栓で入院」
その息子さんが電話をかけてきた.
「健康な状態で施設にあずけたのに,なぜなったのか?」こちらに問い詰める.
「それなら,家で面倒をみてあげたらどうなのか」と言うこちらの本音は口には出さず,
「糖尿病にもなっているし,年を取ると血管もダメになる.
心臓由来かもしれないが心房細動はない.脱水で血液が濃くなったかも」
などと一般的な説明.
HCUにいた時に電話を受けたので,
「ここの脳出血の人達も健康にみえる時から3名とも突然になりましたが」と説明すると,
「それは脳出血の話だろうが」とかえって怒る.
息子さんとしては「父親は脳梗塞であって,脳出血ではない.一体何をあんたはいっているのか?」と腹をさらにたてたということ.
脳卒中というもののより高次の概念はない.
「想像力の欠如」
「心臓は弁膜症だが,それでなったのか?」
「普通はならないと思うが」とのことで言葉を濁した.
ここで,あまり言うと「あの医者こういった」と必ず他で言われる.
また循環器の医師にきいてみますと返答.
人間はいつか死ぬなどの想像力はない.
そして,この人達に共通の単語,こちらにむかって「あんた」とよぶ.
意図的に,こちらの評価,自尊心を下げる目的があるのかどうかわからないが,
おそらく,「敬意」「人間関係の潤滑油」などの発想はないものと思われる.
「あんたがわからんのやったら,他の人に聞くわ」
「他の人とはだれですか?」
「心臓の先生」
この人も,相手に対して「あんた」と言う.
電話が切れた.
その後,すぐにかかってきて,看護師が入院に必要な物品の説明をしていると
「こちらが困っている時に,そっちは言いたいことばかり言う」と怒って電話を切ってしまった.
どうも,新しい職場に変わったところらしい.
非常に共通している.
1)コミュニケーションの質が違う.
自分の感情のみが課題のような.相手に敬意を払うという概念がない.
特に,非言語的なコミュニケーションが不得意.
実際は,言語によるコミュニケーションは全体の7%しかないという報告もある.
相手の気持ちを読み取るという感情的な共感などはない.
そもそも「共感する」という意味がわからない.
まずは,意思の疎通ができない.
2)「社会性」という発想がない.
集団の中の自分,お互い様などの発想がない.
孤立していること自体が全く認識できない.
3)「想像力」がない.
脳出血のヒトが急に発症したというと,それは「脳梗塞ではない」と切り返す.
要は,言葉通りの解釈で言葉の包括的なバックグランドまで,頭に入らない.
要は,「だされた言葉通りに解釈」する.
ある記載で,朝に「今日は宴会がある」と夫が言って,出勤していった.
しかしASDの奥さんは,「夕食の準備をして待っていた」と言うのがあった.
この奥さんは,けなげですばらしい側面はある.
要は,「宴会がある」ということは,「帰りが遅くなる.夕食は不要」を相手に伝えていると思っている夫と「宴会がある」のはわかったが,「遅くなる」「食事は不要」とは言っていないと解釈する妻という形.
それらのことを思うと,今まで,
「ほんとにいくら説明しても話がかみ合わない」と思っていたヒトたちは,
ASD (autism spectrum disorder:自閉症スペクトラム)/アスペルガー症候群であったと納得している.
これから治療をしましょうという医師にむかって,「あんた」という表現を普通に使う人達.それのどこが社会的におかしいかわからない人達.
自分もなにかしてもらうときは,「お世話になります」などの世間一般の挨拶はするが,
とうの目の前の人間に対して「あんた」とか呼んだ覚えは一度もない.
ASDの人達は,
(1)グループ内での活動,行動が不得意,困難
1)集団生活になじめない.
2)適切な距離感がとれない.
3)チーム全体の目標のためにどうすれば良いかわからない.
(2)やりとりがかみ合わない.
独自の解釈をする.就職してから困ることが多い.
今回の電話でも,なにがなにやらという感じであった.
今日の電話してきた「むすこさん」も「新しい職場に変わったところ」とのこと.
おそらく,通常の基準では,「仕事が出来にくかった」可能性が高い.
いくつもの職場を変わっていれば,ASDの可能性がさらに高まりそうな.
知的関心事として,また確認してみるかどうか.
(3)自分のやり方を通す.自己流で物事を進める.
「施設にも預けるつもりはなかった」といきんでいたが,
実際は,「まるなげ」していた事実とは,
自分の中では理屈はあっていたのだろうと思う.
その電話を受けた後,片麻痺になった当の患者さんの診察.
以前も別の疾患で入院していた.
カルテをみると,リハビリ室で他のひとのものにわずかに当たって,
突然怒り出して中止になったとカルテ記載があった.遺伝性がある可能性.
はじめからASDのヒトとわかっていれば,こちらも対応方法はある.
言葉の端々に「この病院はダメ」という気持ちがにじみ出ていた.
以前,麻痺の患者さんに,診察の時,Babinski反射をみていたが,
説明しながらしていたが,急に驚いた患者さんから,
「だから,ここの病院の医者はダメなんじゃ」と大声で怒鳴り挙げられた.
なにをもって「だから」というのか全く意味不明であった.
その息子さんも,退院時には「入院費用がなぜ,こんなに高いのか」と怒鳴り込んできた.
その息子さんが,「ここで,前,裁判になったことがあるじゃないですか」などと突然,話し出して,「自分は知らないが,それはいつの話です?」と聞くと黙ってしまった.
なにか言いたいことがあるようだが,何がなにやら支離滅裂であった.
「この父にしてこの息子あり.」遺伝性疾患の一つでもあるので,
父子ともにASDなら,ますます,ある意味わかりやすい.
まずは,はじめから,この人は前頭葉機能の一部の欠如があると認めてあげることが大事であろう.遺伝子的な疾患で,関与している数は数百に上るとのこと.
同じ父親からなら,そうでない一般の突然発症の人達に比べると3倍以上,兄弟でも発症するとのこと.もし一方にASDがあれば,一卵性双生児なら80%の確率でもう一方にもASDがあるとのこと.大変である.
患者さん,それと患者の家族がASDであっても,
主治医の役割は「入院となった疾病に対しての治療を全力をあげて行うこと.」
「あんた」と呼ばれても,全く「感謝の気持ちの表出」がなくても,ASDならではの特徴と
わかっておれば,毎日粛々と,いちいち,こちらがいらだったりすることもない.
まあ,単純に言えば,「話がかみ合わないのが,通常の状態」である.
余分なサービスはする必要はない.
まず,最初の心構えとして,
「感謝される」ことは100%ないことをキモに命じておく.
さらに,「上から目線」で話をしてくることも覚悟しておく.
自分なりの理屈を作りあげるので,客観性など何もなくても,自分が上位で,
あんた(脳外科のわたくし)は,医者のなかでもだめなやつと,何の矛盾もなく思い込める.
それのどこが世の中の基準と整合性がないかがわからない.
社会の中なら,引きこもりでもうつ状態でもとりあえず,なんとか毎日は自分の居場所をみつけて,少しでも楽にしていたら良い.
脳卒中になったりしたら,今なら「チーム医療」「他職種連携」などのど真ん中に放り込まれる.最も苦手な状況に追い込まれる.大変.
会社や,職場の職員なら,業務ができないので辞めてもらうこともできるだろうが,
入院患者さんとその家族となると,全く状況がことなる.
「良くなる」「一定の状態になる」以外,出て行ってくれることはない.
「治療に全力あげないといけない」理由はそれであろう.
今までも,ほんとに変わった人達がいた.
ASDもADHDも「同じヒトがいない」ぐらいにバリエーションがあると書いてある.
それで,ようやく,話がわかった.
ほんとに変わった人達には痛い目にあった.
「こわいものみたさ」で近づいたりは絶対しないこと.