学会は、学会参加報告書作成時間を取るまでが一苦労

 東京で3月9.10日(金) (土) の学会があった。
日曜日はまあ、朝から、回診、
木曜日の夜から日曜日の朝まで不在にしていると仕事は
どっさりたまる。

月曜日から、金曜日まで5人が転院。

とにかく、月曜日から昼間に突然、転院が一名。
転院時には、画像をCDにコピーしてもらったり、
診療情報提供書を急いで書いたり、
突然決まると、ばたつく。

火曜日の自分の外来は、大変多くの方が、来て
5名をほかの病院に返事、および紹介元にお返事。これは金曜日の朝までかかかった。

その外来の間に一人、リハビリ病院に転院。
この人の転院準備も、学会に行く前から準備していたので、なんとかなった。

水曜日は、自分の患者の予定手術。これは問題なくいって助かった。
夕方には委員会、これは自分が準備しないといけない。
その後は、また金曜日にものすごく遠い出身地に帰る人の
転院交渉がうまくいって、急いで準備。

木曜日はリハビリ病院に1名。ほかの専門病院に1名転院。
まあ、朝から晩まで転院の患者さんのことばかり。

それで、なんとか、5人の患者さんを送り出した。

夜は、毎晩、一旦帰宅して、食事して21時半から22時の間に病院にまた出て、
16日が締め切りの抄録を、データを作りながら、午前2時ぐらいまで仕事。

帰ってシャワー浴びて、次の日は8時から。
たいてい5-10分は遅刻。
なんとかかんとか16日の正午が締め切りに間に合ったが、
済んだのが、16日の午前3時だった。

しかし、これで学会に行ける、要はそれはフライフィッシングに行けること
を意味するので、達成感でバスタブで、久しぶりにのんびりした
感覚を味わった。
両方の肩は、カチカチに凝っていた。

土曜日は、もう一人、独歩退院の人がでたので、
なんとかかんとかその患者さんに挨拶と説明をして、
その日は済んだ。

続けて仕事。ヘロヘロ、退院サマリー、ほかの患者の転院用の診療情報提供書を
書いて土曜日は帰宅。

土曜日の晩は、休憩日。

その後は、月曜の抄録会の準備。

できてない仕事は、今日、
月曜日の抄読会の記事をネットにログインして、論文のfigureを落として、
日本語に訳して3時間で終了。これは1週間前から徐々に読んでいたので、
なんとかなった。

まだ月曜日の予定手術の勉強を、もう一回したら、

ようやく、9,10の学会の参加報告書が書ける。
まあ、いつものように、帰りの新幹線で大体はまとめて、
PCには入れていたので、
なんとかなるであろう。

まぁ、締切王という感じ。

締切でバタバタしていたのは、17日に新しい電子カルテにかわるため、
まるまる1日、電カルが使えない。また新しいものになっても
バタバタするから、返事や記録はどんなことがあっても、それまでに
済まさないといけなかった。

17(日曜日)に病院へ行ってみると、図書室のレーザープリンターも変わっていた。
抄読会の内容がプリントアウトできないところだった。
先週、医局内のプリンターに自分の医局の机からできるように
つないでおいたので、ネットは止まっていたが、
USBを刺してなんとかプリントアウトできた。

毎日、毎日大変そうだが、
なんとか、今日はシーズンインしたので、
また、フライを巻いたが非常に出来が悪かった。

まあ、急いで、参加報告書をまとめよう。

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