喪中のまとめ その1

忌引きの日数は?

全員が全部使うことはない.

とはいえ.

父母が死亡した時,多くの企業は,
大体10日間と書いてある.

普通の会社員でも,病院職員でも同じだが・・・

変わった学校が
「忌引きの届けは試験の前には3週間前に提出を」
と掲示していたと記載があったが
忌引きの10日間は,こちらの思惑通りには取れないが・・・・.

自分の場合.
まず,危篤の連絡があった.
頭によぎったのは,悲しいとかよりも,
目の前の仕事をどうやって済まして時間を作り出すか?
土曜の夕方に連絡があり,
最初にすることはto do listを書き上げること.

土日の余裕があると思って急いで
白のシャツと黒のネクタイを購入しに行った.
その店で,支払いをしているときに
電話があり,死亡したとのこと.
土日に帰る余裕はない.

以前と比べてネクタイの幅が今は広くなったとのことで
一番広いのを購入したが,自分の持っている
10年以上前のものと幅は2mmぐらいしか変わっていなかった.
体形が変わって以前の白のシャツは入らない.

通夜と葬式をいつするかの連絡待ち.
友引を避けるので,どうなるか考えていた.
年齢に不足はなく,年末に一回心停止にもなっていたので,
覚悟は出来ていたし,思い出にもすでに浸っていた.
来るときが来たという感じ.

続いて,仕事の山.
忌引の期間にも,患者さんは存在するし,
病状も変化する.
日曜日に朝から,フル回転で仕事.
5人分の転院の情報提供書を書いて
他の保険会社などの書類も書きあげた.

月曜日には,忌引きの届け出.
忌引きには「土日」は入っていない.
だから土日も含めたら12日休める訳では無い,らしい.

月曜日はその週の病棟別の入院患者の
全員の定期処方を書いた.
さらに誤嚥性肺炎で転院延期になった方の
指示を出した.
さらに,水曜日の朝のカンファレンスの当番が
当たっていたのもキャンセル.
オペのアシスタントも他の人に変わってもらい,
さらに,夕方の委員会の延期の連絡.
ほかにも,
次から次へと忌引き期間に入っている仕事の時間を変えた.
月曜日の晩は,実家に帰る準備.
黒の葬式用の服から着替えから準備.

火曜日は外来日.
病院からそのまま,実家に帰れるように.
朝,車に荷物を全部載せて自宅を出た.
嫁さんが腕の手術をする日でもあり,
「頑張ってね」と声かけして出勤.
自宅から実家まで
170km離れているので,2時間半と計算している.

後になって思うが,仕事は「丸投げ」しても良かった
のではないかと思う.

火曜日の外来日に
次の週の月曜日に手術の予定を入れるのは,
大変である.
その詳しい説明をする時間もない.
そこまで自分がする???

通夜は18時から.
午前中だけ外来して,午後は休むと月曜日に
火曜日の予約の患者さんにも
電話してもらっていた.
おかげでノンストップで14時前に済んだ.
昼ご飯も食べずに,回診して15時半.
自宅に忘れ物を取りに帰り,
夕方のラッシュに巻き込まれる前に
高速に乗らないと時間がかかる.
そんなこんなで,途中まで飛ばして高速のSAで
パンと飲物を買って,食べながら,さらに飛ばして
18時過ぎには到着.

親族というか,実の子供が来ていない状態.
着替える時間も無かったが,とりあえず
黒のコートのままで,会話して
なんとか,その場をつないだ.

他の人が帰って,
翌日の葬式の時のお礼の挨拶を見てくれとの相談.
なんか,亡くなって初めて,父親の若い頃の
話を聞いた感じ.
なんとか添削?して,話をまとめた.
疲れているのは,自分より,母親であろう.
早く寝ないと.

翌日には朝7時に自宅から葬式の会場へ.
なんとかかんとか,起きて準備して
まあ,皆,バタバタ.
驚いたことは,通夜の日も葬式の当日も
兄の仕事関係者などからも含めて,
何十通も弔電がきていたこと.
今まで,自分は同僚,知人の親御さんが
無くなったとき,「弔電を打つ」という
習慣はなかった.
良い勉強になった.
次からはしてみよう.
社会人として一つ勉強になった.
文章は3通読んで,後は名前だけと
葬儀会社さんの説明.それでもすごい数.

続く.

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