生存には母親が、社会性獲得には父親が必要

人間は社会の中で生きていく.
大自然の中で,まったく一人で生きていくことはない.
高等な動物には,そのような行動はない.

何が言いたいか? 
複雑な行動をとる動物ほど,複雑な訓練が必要.
それには失敗が必ずついてくる.
どうすればよいか? 癒しと励まし,
解決法のモデルの提示と,失敗しても無批判に迎えてくれる帰る場所
など,外向きと内向きというか,いくつかの方向がある.

その世界で生活していくのには,
学ばないといけないことが二系統あると思っている.

まずは,生存しないといけないこと.
そのためには,最初に母親は必須である.

次は集団の中で自分の役割を果たすことである.
そうしないと生きていけない.
つぎの世代へ種族を残すことは社会的な行動である.

最近の印象は,
社会性のかけた大人が多いこと.
その人たちの印象は,今まで自分が生きてきた中で感じたことは,
その人たちの心の中には,「父親像」がないことである.
男の人でも,女の人でも,違和感のある人はみな共通している.

印象としては,母親は,無限にやさしく,逃げ帰る場所
それに対して,父親は,折り合いをつけて行動に出る手本.

両方の機能を,一方が兼ね備えることは,基本的に困難である.
片親の子供を責めたりするつもりは全くない.

しかし,幼児にとっては子供らしく,あるいは子供ぽくふるまうのは
それでも良いが,ただ存在するだけでは
大人,社会人としては,認めてくれない. 
認めてくれないことを責める「年齢としては大人」の人がほんとにいっぱいいる.

父親像というのは,社会に出てやっていくために必須だが,
日本は,会社で男の時間を占有してしまった.
その反動で,父親像のない大人が,大勢男も女もできてしまったと思っている.

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