ナースもすごかった

それまでナースはナースで,
いろいろと出来る人もいれば,
そうでない人も見てきた.

しかし大阪はさすがに
全国選抜という感じであった.

すごかった例
1)髪の毛を銀髪にそめていた新人さん
そして,何もかもがその新人さんはすごかった.
CV lineを抜いてくださいといわれて,
ハサミで途中で切っておわり.
逆流したまま.
膀胱洗浄してくれと言われ100%アルコールで洗浄.
それは,すべて後で聞いた話.
脳外科病棟ではなかったので,あまり仕事をしているのか
どうかもしらなかった.とにかく仕事中は目立たない.
それが忘年会に出た時,
二次会のカラオケでは,
初めの端から延々とシャウトしまくり,
すさまじかった.ほかの人は歌う暇がない.
次の年には,
病院を退職してパチンコ屋の住み込みとして
働きだした.
そのほうが本人と患者のためと自分も聞いて納得した.

2)すさまじい婦長さん
自分にはやさしかった.脳外科好きで手術好き.
しかし,ほかの病棟に婦長さんとして移動してから,
朝の申し送りのときなど,
何でそこまでどなり上げないかんの?
というぐらい怒りまくる.
途中で,新人,中堅が,「もういやや・・・」と
申し送りも止まってしまった.

それからしばらくして,
婦長は交代,手術場へ,そしてデイサービスへ
そして,いつの間にやら,病院から消えていた.
ほんとに,すごかった.あんなに怒る必要があったのか??
そんなにスタッフがダメには思えなかった.

どんどん,婦長もスタッフも変わっていった.
病院に対する愛着は,半数以上の人は,かけらもないと
自分は感じていた.

自分はどこでも,「耐えて勝つ」をモットーにやり抜いた.

脳外科病棟の若いナースは一生懸命だった.
彼らが間違えても,怒るようなことはしなかった.
悪意のない人に,
怒ることなどしてはいけないと
脳外科の上司を見習った.

自分も,その時「どなり上げて解決する問題はない」などと
人生を勉強させてもらった.

大阪は,そういう意味では,
責任を持って働きだした原点と思う.
実力もすこしずつついていた時代.
今から12年から10年前の話である.

 

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