実名で行うとされているFacebook.
見て,びっくり.多くの人がいる.それは当たり前だが,
多くのびっくりがあり,
「自分は,自分であるためには,してはいけない」
と結論.
もちろん,誰からもやってくださいと頼まれてないので,
どうでもよいことではある.
そのびっくりの内容.
1)「友達になる」は,間違い.
ありえない.
むしろ「知り合いになる」「知っている」で
クリックするようにすべきである.
自分の,仕事としての,
要は,医師としての
「上司」「恩師」「同僚」「後輩」「部下」も
たくさん見つかった.
自分にとって,その方々は,
「友達」ではない.
勘違いしては困る.
「知っている」ならクリックできる.
恩師と友達になるような,失礼なことは,
絶対できない.
ましてや,部下を友達扱いするようなお気楽なことはしない.
自分は部下の仕事上の上達のためには,仕事上に使える
時間もお金も犠牲にする.
友達のためには,私生活を犠牲にする.
関係を維持するための時間,資源が,そももそ別物である.
知り合いなら挨拶程度である.
職場の同僚は,「職場の同僚」であって,
決して「友達」ではない.
2)これから仕事に使う人はどうぞ.
自分の仕事の選び方は違う.
実名使って,これから仕事に力を入れていきたい人は
したらよい.
それは「知り合いの知り合いが,別の仕事を持ってくるから」
自分は,次から次へと仕事が来て,
どうやってスマートに断るか,あるいは,
自分の今のビジョンと仕事の依頼を,どうやって,一致させるかなど
悩んでいる.
要は,手広くやり過ぎ.
ほかにも,やりたいことは目白押し.
やらないといけないことも,目の前にどっさり横たわっている.
実名さらして,余分な用事,仕事を依頼されないようにしないと.
この無記名のブログでさえ,雑誌のインタビューが来たぐらいである.
実名さらしたら,大変なことになる.
実名でグーグル検索入れたら,何万もヒットして自分で驚いたぐらいである.
自分の独立を守ることも大事.
3)ほかにやりたいことは,ほかの名前でやりたい.
実は脳外科関係の有料メールは偽名で発行している.
フライフィッシングは,さらに別の名前でブログもしている.
ということで,
もともとの「人間は多面体」であるというモットーから,
別の名前と人格でそれぞれの世界で生きてみたい.
それは,小説家が必ずしも,
その小説と同じ人生を歩んでいないのと同じ.
当たり前といえば当たり前.
4)職場の人と帰宅しても友達???
職場で会って話をして,
帰宅してもその人たちと?
「職場の同僚」は「職場の同僚」であって,
「友達」ではない.
別に友達にならなければ,よいだけだが,
「友達依頼」がきて,ある人はクリックして,
ある人はしてないともめる原因になる.
やめろ,そんな面倒な関係は今すぐ止めろ.
心の声が聞こえる.
そもそも,職場の人間とそんなもので,友達になっても
人間関係は,なんら変わらない.
5)情報発信の内容が表面的になる.
町を散歩して得られる程度のもの.
広報というか,公式発表というか.
無料(ただ)で手に入る情報に価値のあるものは少ない.
フライフィッシングなどではよくわかる.
金を出してこそ,得られる情報とサービスである.
真実に届きたければ,それなりの手段を選ばないと.
6)自分の大事な友達を安売りするようなことは絶対したくない.
おそらく,その機能はついていると思う.
仕事だけでなく,趣味.地域でのつながりなど
自分の人間関係はそれなりに複雑に成り立っている.
それが,ほかの人に知られて,
まずくはないが,楽しいものではない.
複雑な人生模様の人には向いていない.
などなど,30分ぐらい,全体を見てみての
結論でした.
どんな人に向いているかも考えてみた.
向いている人
1)一神教の国々の人
実名だけが全てである.
ある雑誌に,日本人が「アメリカの有名どころでフライフィッシングをして,
その場で一緒に釣っておもしろかった.意気投合した米国人がいた.
かれはどうなったかと思って,15年ぶりに名前を打ってみたら,
実名で彼もFacebookをしていて,また一緒にいけて本当に楽しかった.」
というのが,あった.
おそらく,これが本当の使い方であろう.
開発の目的も,このようなためであったと思う.
2)これから社会人として活躍していく人.
学生時代の,利害関係のない人間関係はほんとに大事.
ある統計で,25歳を過ぎると友達はほとんどできない.
というのがあった.それまでは作ればよい.
友達というか仲間がいれば楽しい人生が待っている.
しかし,責任,家族,仕事などが時間を奪うときが来る.
それまでに楽しむには役立つかも.
3)これから仕事に使いたい人,
これから,仕事をしたい人.
稼ぎの元を,持ってきてくれる可能性がある.
自分も,そういう事業めいたことをしたいが,
別名義で自分はしたい.
すでに,本名では,名前と名誉と責任をかけて仕事をしている.
院長が,若い医師をリクルートするなら実名ですればよい.
若い医師は決して「友達」ではないけれど.
皆,使っているから.
4)まだ,私生活が単調な人.
休みに旅行にいったりが,人生の人.
刺激になると思う.
地元で,こんなことがあるのかとか.
この人と知り合いになって,こんなことがしたい.
などと世界が広がる.
5)要は,これからの人向け,
あるいは,仕事のある部分一点に絞り込んで
など「これから何かする」使い方はあると思う.
おそらく,自分が自力で達成してきたことが,
若いときにこれを使えば簡単に近道でできるツールなのであろう.
ほんとのF1レーサーになった人の苦労話から,
若手に練習用のシミュレーターを作って,
腕を磨かすようなものか.
今は,飛行機のパイロットも787の実機に乗るときは,
初めて乗るときが,お客さんが乗っているときで,
それまではシミュレーターで訓練するとの話を
ANAの教官から聞いた.
練習フライトで落ちたりしては,大変なことになる.
またシミュレーターのほうが,困難度が高いとのこと.
そんなこんなで,実社会の補助ツールとしての
価値はあるとは思う.
まあ,そんなこんなで二度と開けないと納得した.
あるいは見たくないものまで見てしまいそうである.
中には,地域で探して小学校の同級生に久しぶりにあったとか
直接,その人に話は聞いたがそれも20歳過ぎの「男女」の話である.
今の自分が考えている条件にぴったりである.
もう一度,確認.
小学校の同級生は「小学校時代の同級生」であって,
同級生全員が「友達」ではなかったはず.
「知り合い」はいっぱいいたとは,思う.
クラブ活動でも,友達でなかった同級生は
いたはず.
まあ,自分は
「向いていない条件」に全て合致.
と「向いている条件」にすべて合っていない.
一瞬で,感じたことを,理屈で分析すると
こんな感じ.