臓器移植チーム
2007年当時の脳死臓器移植の
状況がわかります.
この土曜日に、昼は病棟の経鼻胃管交換、
その後は指示書き、午後6時半から講演会、
有名な教授のお話を聞いた。
ホテルの立食パーティで
久しぶりにおいしいものを食べた。
帰ってきて、休憩、その後は来週の
「法的脳死判定」についての
病棟講義の準備をした。
自分が今の病院の脳死判定の実際的な手順を作った。
しかし今の日本の現状、諸外国との違いを勉強して、
日本が極めて、特異であることを再認識した。
「法的脳死判定」を行うは
「臓器移植」がされるときのみである。
2回目の法的脳死判定終了時刻が
死亡時刻であることは、知っていた。
各国の移植法は1992年から1997年当たりに
集中して成立している。
そのときに臓器提供されるときのみ
脳死は人の死と認めた日本は
その後、苦難の道を歩むことになる。
日本以外の国は脳死も死とその時認めている。
さらに言語学的、文化的な違いがある。
本人が脳死になったとき明確に移植を拒否していない場合は、
家族の同意で移植が可能(推定同意)という考えを
とっている国が多い。
これは、
「Noと明確に答えなければ、それはyesと解釈しても良い。
黙っているということはYesである。」
というアングロサクソン系の言語体系の解釈であろう。
日本では「明確にYesといわない限り、それはNoである。
あるいはNoの意味が入っている。
黙っているということはNoである。」と
解釈されるからである。
これでは脳死判定後の移植の件数は進まない。
自分は移植医療の推進者ではないが、
知識としては知っておいて損はない。
自分が驚いたのは、病棟講義を依頼してきた
救命救急ICUに臓器移植チームというのがあるということ。
あって当然であるが、スタッフの普段の顔をみていると
名称とのギャップがありすぎる感じがするが、
自分も人からはそのように思われている気がする。
※2007年当時の状況の説明です.
2016年4月に読み直すと,
日本も「絶対拒否」と意思表示されていない限りは,
家族の同意で,出来る可能性がでてきて,
15才以下の症例も,少しではあるが,増えてきている.
日本も,
「Noと書いてないから,Yesかもしれません」と
解釈を変えています.