ドクター  ブルー バード  症候群

Doctor Blue Bird syndrome

医師の大きな流れ,
2004年 新研修医制度で卒業生が大学医局に残らず,市中病院へ
    (第一次医師不足)
    
2004-2007年
    研修派遣の予定の病院に次の医師が派遣できず.
    医局派遣制度が壊れて,大学病院本体を守るために,
    遠くの中小病院から中堅医師の引き上げ.

 全国で「実は医師は不足していた」ことが判明.
    卒後7-10年目クラスも医局制度の派遣先では
    「実力,腕」が身につかないと思い,
    自分たちも「身につけてみたい技術のある有名病院へ」移動
    (第二次医師不足の波)

2006-2008年
    初期研修が終わり,「後期研修,専攻科研修」でも
    有名どころの病院に後期研修医が集まる.
    さらにもう一つ上の年齢層の医師も有名病院に集まる.
    いわば,研修医の集団が以前の日本の団塊の世代の様に
    全体で動く.それにひきずられて,実力をつける一歩前の医師が
    動く.というのは第二の流れ

2009年以降
    ユーターン,アイターンの流れが起きつつある.
    要するに「スター医師」のいる病院に就職すれば,
    自分もそうなれると「信じたい」医師たちが,そこに集まる.

    紹介されてくる患者は,その「スター医師」に手術をしてほしい.
    決して,そこにいる若手の医師にしてほしいというものではない.
    しかも多くの「やりたい盛り」の医師が集まっている.
    実は割り当てられるチャンスが少ないと気が付く.
    200の手術を10人で分ければ,一人20.
    120の手術を3人で分ければ,一人40である.
    多くの医師と自分を比べて切磋琢磨するのは勉強になる.  
    しかし,割り当ては少ない.
    どうするか?
    ある程度,出来るようになれば,自分の限界にも
    気づく時が来る.
    当たり前だが,プロ野球のオリックスに入りさえすれば,
    いずれ自分も,最後にはイチローになれると思うほど
    思いあがっている高校生はいないと思う.

    そこで,どうするか,毎年,毎年,有名病院には
    専攻科研修の後期研修医が志願してくる.
    しかし,「実力は2-3年で確かに伸びるが,到達したという
    レベルにはならない.次の世代が後ろに控えている.
    結局,上下3年間ぐらいの医師グループで優秀なものだけが,
    後継者選抜のグループに入る.
    だんだんと有名病院の医師があふれてきている.
    その医師たちは,どう動くのか?
    
    これが,”第3の波”であろう.
    
   プロ野球の選手のような状態に医師もなってしまった気がする.
    プロの資格を得たからと言って,すぐに一軍では通用しない.
    二軍で終わる人も大勢いる.それでもプロになれなかった人
    よりは素質も努力も上であったと思う.
    
   研修医は皆が指導してくれる.
   後期研修医もなんとか指導してくれる.
   専門医前後は?? 医局制度の下なら,当然指導してくれる.
   しかし,今は??? 
   有名病院に行けば,自分も「腕が上がる」保証は,実はない.
   結局は本人の努力に尽きる.
   どこかに行けば,幸せが待っているわけではない.
   
   まあ,そういう医師集団が今後,各地に散らばっていくでしょう.
   遠くの青い鳥をおいかけて行って,実は自分がしないといけないことは
   何だったかに気がついて地に足のついた努力をしだす時が来ると思う.

   今は10年目の医師がどう動くのかが「台風の目」でしょう.

   研修医に来てもらっても困る病院というのは実は多い.
  
   「実力がついてから来てね」という病院も実は多い.
   
   そのニーズに合う集団が,ようやく動き出した気がする.

   
   
   
   

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