天才は天才を知る.無能者は??

能力のない人は,能力のない人が分かる.

よくいわれることに,上達した人同士の会話は,初心者,中級者には
なかなか,理解ができない.
また,手技が完成した人同士のアドバイスなどは,中級者,初心者,
フォームができてない人には,有効でない.

要は,上級者,さらに選ばれた天才と呼ばれる人たちは,
それ以下の人たちとは別の次元で理解しあっている.

能力も,もって生まれた器の大きさと獲得してできるようになったabilityの
違いで,天才,上級者と呼ばれる人たちでも,差が付いてしまう.

簡単にいえば,検尿で,たんぱくが一本プラスの人もいれば,
二本プラスの人もいる.時に三本プラスの人がいる.

それと同じように,上級者,天才と呼ばれる人たちも,1+,2+.3+
と別れることが最近分かってきた.
プロ同士では,当たり前の世界であろう.

突然,この前,気が付いた.
能力のない人たちの中にも,差が付いていることに.
要は,能力が,イッポンマイナスの人,ニホンマイナスの人,
サンボンマイナスの人にわかれる.
あるいは,わけることができる.

そして,能力が足らないことを自覚,あるいは無自覚に何とはなしに
感じている人たちは,天才のことはわからない.
しかし,能力のない,自分以外の人のことは理解できるものであると
わかった.
スポーツでも,カラオケでも,5分もすれば,その人はどの程度かは
ふつうは分かる.カラオケで,今日は音痴で調子がわるいが,次回は
すごいうまいなどはありえない.

日常の仕事でも同じである.30分も仕事ぶりをみたら,その人は,
どれだけの人かはわかる.

問題は,その人が,どこまで仕事,専門を極めていくかである.

「先生は,大成しないよ」とこの前,ある人にいわれた.

その言って来た人は,自分の専門で「全く大成していない人」であった.

大成した人たちは,大成した人たち同士の競争,戦い,角逐があるので,
大成しそうもない人には,そのようなことをいう理由がない.
時間の無駄である.

「自分が大成どころか,全くものにならなかった」器であるからこそ,
ものにならない人には共通点があると,「ものにならない要素」に関して
詳しくなっていくものと思われる.

そこで,ハタと気が付いた.
昔から「天才は天才を知る」という.

この場合は,天才の反対は,凡才で平凡というわけではなく,

「大成するには能力の足らない人」は「大成するには能力の足らない人」
をすぐに見分けることが可能であるという事実に.

楽器がうまくならない人,勉強しても成績の上がらない人には
共通点があるなどと言われるが,「大成するには能力のない人」も
お互いがすぐにわかるのであろう.

そもそも,平気で人にそういう発言をできること自体が,
すでに「自分は大成どころか,箸にも棒にもかかりません」と言っているのと同じ.
相手を下げることで,能力がマイナスイチの人を,自分レベル,
要は能力マイナス二まで下げることで,安心感を得ようをしていることになる.

相手に不幸が起きることが自分の幸福感を上げること.
という人が世の中には実在する.

無能者は,無能者を下げようとすることで,安心感を得るのであろう.

まあ,自分も能力はマイナスイチなので,マイナス2の人の気持ちが分かる.
そのかわり,上空を舞う天才たちの気持ちはわからない.
それは認める.

だからと言って,ほんとのことを指摘してくれてありがとうと
お礼を言うような内容ではない.

不細工な女性が,化粧は見事にノリが良い時に,
もし「化粧のノリは良いけど,ブサイクはブサイクのままよ」
と,職場で,ある一人の女性の面前で発言したら,おそらくその職場には
3日間も居れないと思う.
簡単にいえば,解雇されるであろう.

宴会の場ならどうなるか?
お酒が入れば,本音を言ってよいかもしれないが,
相手を見下げる発言をするということは,
普段から,そのように思っていることを暴露することになる.
「問うに語らず,語るに落ちる」であろう.

まあ,せいぜい,地道な努力を続けよう.

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